“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第212回
日本酒の造りの歴史 その2
神々の酒

日本でいつ穀物による醸造酒が造られ始めたかは
定かでないようだ。
弥生後期の3世紀前半のことが知られる資料である
「魏志倭人伝」には日本人が酒を飲んでいたという記載がある。
これが、日本酒の原形らしい。
酒造りの起源については、
水稲耕作の伝来とも密接な関係があって
色々な説が唱えられているようだ。

「大隈国風土記」には世界の穀物酒の原形である
「口かみの酒」の記述がある。
これは、人間の唾液アミラーゼが澱粉質を糖化して、
それを放置しておけば、大気中の自然酵母が
それをアルコール化させる原理に基づいている。
穀物は前述したように、糖分を有していないので、
澱粉質をどうやって糖化するかが重要だが、
日本における「口かみ酒」は
この資料以外には見られないらしい。
米と麹を用いた酒造りの記述は「記紀神話」すなわち、
「古事記」、「日本書紀」に見られ、
弥生中・後期には
「天の甜酒(あまのたむざけ)」、「八塩折(やしおり)の酒」
という米を発酵させた酒造りが行われていたことが記されている。

「天の甜酒(あまのたむざけ)」の天(あま)は天上の、
甜酒(たむざけ)は甘酒という意味で、
一度だけ米と麹を仕込んだもので、
甘酒のような低いアルコール度のものであったらしい。
それが、複数回の仕込みをしたものが
「八塩折(やしおり)の酒」と見られる。
「八塩折(やしおり)の酒」は
「古事記」上巻に、八岐大蛇(やまたのおろち)を
酔わせて退治するために須佐之男命(スサノオノミコト)が
出雲国で造ったという神話が記されている。
「塩折」とは、絞る、濾過と同義であるので、
何度も濾過した醪に米と麹の仕込を繰り返すことによって
アルコール濃度を高めるという、
高度な技術が採用されていたことが推測される。

現代では三段掛けといって、
仕込みを三段階に分ける方法が通常はとられている。
一気に仕込むと酒母中の酵母や酸が薄められて、
雑菌が増殖するおそれがあるので、それを防ぐためだ。
初日は「初添」で熟成酒母のなかへ、
その約二倍の量が加わるように蒸米、米麹、水を仕込む。
翌日は「踊り」で酵母が繁殖するのを待つ。
三日目は「中添」でそのなかに、
さらに二倍の量となる蒸米、米麹、水を加え、
最終の四日目に「留添」と言って、
さらに二倍の蒸米、米麹、水を加えて、仕込み作業を終える。
つまり、それぞれの段階で量は三倍になっていくので、
最後には九倍の量となる。
「八塩折」はこの現代の多段仕込みの原形となっている。

八岐大蛇(やまたのおろち)も、
この高アルコール度の「八塩折の酒」に嵌らなければ、
退治されずにすんだわけだ。


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2005年6月14日(火)

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