死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第24回
新しい厄年は五十五歳

私は自分が死んだ時に、
葬式の手伝いをしてくれそうな若い人がいないと
困ると思って自分より十歳前後若い友達とつきあってきたが、
その中で私より先に死んで、
私のほうが葬式に行かなければならなくなったのが何人かいる。

みると、いずれも五十歳の曲がり角のところで死んでいる。
死んだ男たちに共通の傾向は、とみると、
第一に夜を徹して酒を飲み続けた、
第二に、昼と夜とを逆さにひっくりかえしたような
不規則な生活をしていた、ということである。
してみると、あまりに身体を酷使したり、
臓器に負担をかけすぎたりすると、
あちこちのパーツが故障して
五十年しかもたなくなるらしいのである。

逆にいえば、かなりの無理を重ねても、
人間の身体は五十年間くらいの使用には
耐えられるということだから、
「太く短く」をモットーにすれば、
「人生五十年」と覚悟すればよいのである。

昔は、医学が今日ほど発達していなかったし、
幼児死亡や若くて死ぬ者も多く、
平均すると、寿命は五十年で終わった。
ただし五十年といっても、
若くて死ぬ者も合わせての五十年だから、
五十歳まで生きた者は大体、六十歳までは生きる。
そういう時代の定年は五十五歳であった。
五十五歳で定年になって退職金を貰い、ああしようか、
こうしようか、と迷っているうちに、
退職金に手をつけるようになり、
大へんだ大へんだと
戸惑っているうちに寿命がつきてしまったのである。

ところが、平均寿命が七十歳、
八十歳と延びはじめると、
五十五歳の定年では如何にも早すぎるので、
五十五歳が五十八歳になり、ついに六十歳になった。
しかし、定年は六十歳でも、
もっとずっと前から肩叩きのはじまる会社もあれば、
定年後もそのまま勤務を続けられる会社もある。
ただ定年がきまっておれば、
誰でもその時の準備をしなければならないし、
緊張感もひときわ激しくなるから、
四十二歳の厄年とは違った、男の二回目の厄年がやって来る。

平均寿命が延びたことによって新しく生じた厄年は、
さきに述べたように五十五歳であると私は思っている。
人は必ず年をとるものであるけれども、
客観的な歳月のほかに、主観的な年のとり方がある。
そういった主観的な年のとり方は、
恐らく人によってそれぞれ違うし、
その人の運不運やショックの受け方によっても
個人差が激しいだろう。

予想外のトラブルにまき込まれて、
「一夜で白髪になった」という話をきくが、
これは本当にあることである。
それに比べれば、毎日、少しずつ年をとるのは、
毎日、鏡を見ているものにはわからないが、
三年とか、五年とか、会わなかった人に会うと、
「あれッ」と叫びたくなるほどの変わり様である。
テレビのアナウンサーなど久しぶりに出てきたのを見ると、
すっかり白髪まじりになっていて、
やっぱり歳月は争えないなあというショックを受ける。





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2015年1月14日(水)

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