死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第70回
二十一世紀を一目見てから

私がひそかに考えていることは、
いくら身体に気をつけても、
いつかは年をとって死ぬ時がやってくる。
その時期は人によって違うが、
自分の身体の調子や自分の仕事の具合や
人生に対する基本的な態度によって、
もしかしたら自分で選べるのではないか、ということである。
たとえば、私は糖尿病という持病を持っている。
心臓にも多少のトラプルを抱えている。
コレステロールも、肝臓も腎臓も今のところ異状はないが、
頭を酷使する仕事だから、
いつどこで循環系統に故障が生じてぽっくりいくかわからない。
しかし、今でも道を歩くことにかけては誰にも負けないし、
激務になれていてあまり病気をしないから、
だましだまし案外、長持ちするということも考えられる。
ただし長持ちするとしても、八十歳まで生きることは
無理なような気もする。
そしたら、いくつくらいで死ぬのが時宜を得ているだろうか。

私自身は七十七歳がちょうどいいと思っている。
口の悪い大宅壮一さんは平均寿命が七十歳の時代に
七十歳で死んだが、今は男は七十六歳という数字になっている。
それより一年くらいたってから死ぬのではどうだろうか。
私が七十七歳に固執する理由はもうーつある。
私は1924年の生まれで、七十六歳の時に、二十一世紀になる。
ニ十一世紀を一目見てから死にたいということになると、
見ただけではちょっと心残りがあるから、
あと一年くらいということになる。

二十一世紀はどんな世紀になるか、はこれから十年間に
もっとも頻繁にとりあげられるテーマであろう。
二十一世紀になった途端にそれがわかるわけではないが、
どんな方向に向かうかというキザシくらいは
見えてくるのではないか。
それは二十世紀を生きてきた人々の共通の願望だろうが、
死ぬ時期を自分できめることには、
もちろん、別の意味がある。
たとえば、私が七十七歳まで生きるとすれば、
ことし三月で六十五歳になる私には
あと十二年の「生きている時間」が残っていることになる。

持ち時間がきちんときまっていると、
この間に何をやるか、またやり残した仕事はどうするか、
バトン・タッチはどうするか、
あるいは、十二年間に、
まだ旅行をしたいと思っているところがあるか、
あればいつどうやってやるか、
ときちんとしたスケジュールを立てることができる。
「生命」をふんだんに持っていた時は
まるで気にもしなかったことだが、
「残り時問」がきまってしまうと、
案外、予定も立てやすくなるのである。





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2015年5月1日(金)

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