死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第82回
事業経営は後継者づくりが大切

だから、事業としてはじめた
ほとんどの新しい商売がうまく根づかず、
人がいなくともできる不動産業だけがわずかに残った。
もっとも私の手がけた事業はーつとして大をなさなかったが、
私のところからとび出して行った人々も大成した人間は一人もいない。
そういう運のめぐりあわせになっていたともいえる。

私自身はそれでも何とかやっていけたが、
四十代も終わりに近づく頃に、
再度、挑戦する気を起こした。
久しく対立関係にあった台湾政府と和解し、
生まれ故郷の台湾へ自由に帰ることができるようになったので、
もう一度台湾でやってみようと思い立ったのである。
もし私がずっと文筆業だけに従事していたら、
そもそも後継者をつくるとか、
人材を養成することなど眼中になかったに違いない。
小説家にも、門弟がいたり、
研究会をつくって後進を育てている人があるが、
小説は教えて上達するものではないし、
個人の才能により多く依存するものだから、
才能を持った本人に出世の糸口をつくってあげる程度のことしかできない。

ましてや、役者や医者のように、
自分の子供に教えて、自分の後を継がせることはできない。
だから物書きは一代限りで、
子供たちはまた自分たちなりに、
メシの食っていける仕事を見つければよいということで終わってしまう。
その代わり文筆業の仕事は自分が好めば、
「死ぬまで現役」を続けることはできる。
といっても相手のあることだから、
文章を注文してくれる新聞や雑誌社がなければならない。
そのためには世間の動きにうまくリズムがあっていなければならないし、
それができるためには人々の関心事が何であるかを理解し、
本を読んでくれるかなり厚い層と常に接点を持っていなければならない。
独りよがりや自己主張だけで、
他人のいうことに聞く耳を持たないということでは成り立たないのである。

もっともいくら自分が「死ぬまで現役」であることを望んでも、
あまりにも長生きをしすぎると、
死ぬ前に第一線からの引退を余儀なくされる時が必ずくる。
誰も注文してくれる人がいなくなれば、
しぜんにジャーナリズムから姿を消してしまう。
それはそれで仕方のないことだが、一代限りの職業であれば、
影響を受けるのは自分と自分の家族だけだから、
他に収入があるか、家に恒産があれば、
家族が困るようなことにもならない。
せいぜいのところ、死んだあとの相続税を
どううまく処理するかが問題になるだけのことであろう。

ところが、チーム・ワークで仕事をしていると、
社長の死はその会社で働いている人々や
その社長のおかげで商売ができている人たちに大きなショックをあたえる。
上場企業のように、会社が個人や創業者のものでなく、
社長が交替するだけですむところでは、
社内の人事にシビアな影響をあたえることがあっても、
会社が成り立っていかないとか、
働いている人が職を失うとかいったことはまず起こらない。

それが中小企業とか、大企業でも家族会社の大きくなったものだと、
後継者づくりが重大な問題となってくる。
私の場合は、後継者を必要とするような大企業は、
何一つ経営していないが、
チーム・ワークでやる仕事でーぺんは
勝負をしてみたいという宿願をかねて持っていた。
たまたま台湾へ帰るようになったので、
台湾の青年たちを使って、台湾で一から始めようということになった。





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2015年5月29日(金)

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