金銭読本 邱永漢

「人とお金」を批評する

第5回
金の生い立ち その2

資本主義という経済機構に多くの矛盾があることは
事実であるけれども、
それ以上に紙幣が金地金と直結していたことに矛盾があり、
マルクスが資本主義社会の研究をした時代には、
この両者がごっちゃになって、
資本主義が今にも崩壊するような結論になってしまったけれども、
紙幣がタダの名目貨幣、信用貨幣になってからは、
この矛盾は全く形を変えた。

これは非常に重要なことだと私は思っているが、
今日の経済学者はあまり問題にしていないようである。

さて、紙幣が不兌換紙幣になってからは、
紙幣の値打ちはその購買力、
即ち物価から逆に算定するよりほかなくなった。

今日でも紙幣は物の値段をはかる一応の尺度になっているけれども、
その尺度をきめるものが
実は物の方であるから話がややこしい。

従って物価を決定するものは
物の数量と紙幣の数量であり、
この間に或る種の数学的な関係があると
考えるのがいわゆる貨幣数量説である。

しかし、紙幣の数量、即ち銀行の発行高が
物価とどの程度の比例的関係を持つかは
これを正確に知ることは出来ず、
いかに数学や経済学の天才が現われたところで、
この問題を完全に解くことが出米るとは信じられない。

私たちが金に期待するのは、
それが物を買う力を持っているからであるが、
たとえば十年後に同じ金額の金が
どれだけの物を買いうるかも全く予知出来ない。

それを頼りにして生きているのだから
いよいよ頼りがないが、そこがまた魅力で、
少なくとも結婚前の男の愛の誓いよりは
大分頼りになると思う人は案外多いかも知れない。





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2012年7月27日(金)

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