不動産こそ財産
まず香港―東京ルートでお金が儲かるとわかると、蟻が砂糖にたかるように、競争相手がゾクゾクと現われるようになった。郵便小包を利用するルートさえ競争相手が続出し、景気のよかった時は倍にも三倍にも売れたものが、五割になり、三割になり、やがて原価で処分しなければ売れないところまで落ちてきた。
まだ未経験な年の若いときは、人は自分がはじめてつかんだ好運を、それを好運だなどとも思わず、ついつい自分のためにひらかれた道のように思い込んでしまうものである。月に百万円儲かれば、百万円の儲けがいつまでも続くような錯覚を起す。しかし、そんなチャンスはもちろん長続きするはずもなく、あっという間に失われてしまった。
ただ私は「二十代につくったお金は残らない」と人に言われていたので、お金が儲からなくなると、途端に財布の紐も締めるようになり、自分のマンションの部屋も台湾からの留学生に貸したりして、出費をできるだけ減らすように努めた。だから、私の手元には、日本に預けているお金も含めて、約二千万円のお金がまだ残っていた。
外から見ると、私の資力も運もまだ絶頂にあった。私自身、これから下降線を辿るだろうという自覚はまだなかった。
香港の人たちはお金に敏感で、お金のない人には冷たくあたるが、逆にお金があるようになると大事にされる。私も高級マンションに住み、自家用車があるようになると、周囲の人々からちやほやされるようになり、紹介する人があって結婚をすることになった。私の二十七歳のときであった。
結婚前後のいきさつについては『奥様はお料理がお好き』(中公文庫)その他にも書いているので、ここではくりかえさないが、家内は私と結婚してみると、私が現金以外に何ひとつ財産らしい財産を持っていないのにまず驚いた。それから私の商売があまりうまくいっていないことにも気がついた。
中国人は大抵そうだが、家内の実家の人たちも不動産が最も安定した財産と信じ込んでいる。あまりにもあやふやな商売をしている私を見て、
「これじゃいまに一文なしになってしまいますよ」
と家内は私に食いさがって、私に不動産を買うことをすすめた。
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