『話の特集』の再建に大金を注ぎ込む
新雑誌からの依頼
毛生え薬と同時進行で私が再建した仕事に『話の特集』がある。『話の特集』という雑誌は、戦前の文藝春秋社が発行していたもので、当時、文藝春秋の記者をしていた矢崎泰久君のお父さんが日本社という出版社をつくって独立するときに、菊池寛からその名前をもらったそうである。戦後はずっと休刊していたのを、息子の矢崎君が雑誌をおこすにあたって、その名前を使うことを思いついた。
矢崎君の復刊した『話の特集』は、戦前の『話の特集』とは全然イメージの違ったもので、横尾忠則に表紙を描いてもらったくらいだから、何となく歓楽街のネオンの点滅を連想させるようなサイケ調の雑誌であった。執筆者も個性のある新人ばかりで、その創刊号を持って矢崎君が石川台にある私の家へ小説原稿の依頼にきたとき、私はその新鮮さに思わず目を見張った。と同時に、時代の先を走りすぎていて、これではとても売れないだろうし、とても採算にのらないだろうという考えがまず私の頭の中をかすめた。
「たいへんじゃないですか。お金はいくら持っているのですか?」
余計なことだが、私はそういうきき方をした。矢崎君は、私の質問に対して、父親が土地を売ったお金が六千万円ほどあると答えた。
「それなら当分はもちますね」
と私は頷いた。どうして僕に原稿なんか頼むのですかときくと、吉行淳之介にきいてきたといった意味のことを矢崎君は言った。吉行淳之介が私に原稿を頼めというとはあまり信じられないことであったが、面白い着想の雑誌だと思ったし、これでは採算点に乗るまでにかなりの時日を要するだろうと思ったので、ふだんは原稿料の交渉を先にする私も、何一つ言わずに原稿を書くことを承知した。たしか三号目に、「セールスマン日本一」という短篇を書いた。
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