撤退はすばやく

美術誌『求美』は消えてなくなったが、雑誌を経営するノウハウは私の頭に残った。私の出版に対する意欲は完全に消えてはなくならなかった。のちに私は台湾で『股市瞭然』という日本の『四季報』にあたる小冊子をつくり、それを途中から『財訊』という経済雑誌に変え、何年もかかったが、とうとう台湾で広告収入が一文もなくても、購読収入だけで成り立つ唯一の経済雑誌につくりあげた。
競争の激しい日本の出版界で小冊子ながら、二冊も雑誌を成り立たせた実績があったせいか、私は人口がわずか千九百万人しかいない台湾で、たいして尻込みもせずに、雑誌を創刊して軌道にのせることができた。それは二回にわたって、果樹園を経営するような要領で気長に雑誌を育てあげる体験をしたからであり、前の体験を無駄にしなかったからである。
さて、次から次へと失敗を重ねながらも、またまた失敗に懲りずに、新しい失敗に挑戦できたのは不思議じゃないか、そんなに損をするお金を持っているのだろうかと首をかしげる人がいるかもしれない。私ほど損をしたら、もうあとが続かなくなりそうなものである。それに懲りもせず、何回でも失敗できたのは、私が旺盛な起業意欲を持っていたからであるが、損をする場合も警戒心が強く、損害を最小限にとどめようとして絶えずブレーキを踏んできたからであった。

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