|   第37回 
          花袋の愛した温泉 
           
          自然主義の小説家として知られる文豪、 
          田山花袋(1871〜1930)は 
          『蒲団』や『田舎教師』など代表となる小説を発表し、 
          作家としての地位を確立した後も、 
          全国各地の温泉をめぐり、多くの紀行文を発表しています。 
          特に大正時代に発表した『温泉めぐり』や『温泉周遊』は、 
          花袋のベストセラーとして、 
          現在でも温泉ファンたちに読み継がれています。 
        花袋の生まれ故郷、群馬県館林市にある 
          「館林市田山花袋記念文学館」で、昨年の7月〜10月に 
          特別展「温泉ソムリエ・田山花袋〜群馬の温泉編」が開催されました。 
          この開催に合わせて、会期中に群馬の温泉を紹介する 
          講演会が開かれ、私が講師を務めました。 
          「花袋の愛した群馬の温泉」と題して、 
          温泉の魅力や花袋の紀行文で紹介された群馬の温泉について、 
          お話をさせていただきました。 
        まず驚かされるのは、花袋の行動範囲の広さと 
          そのバイタリティーです。 
          群馬県内だけでも15〜16ヶ所の温泉地を訪ねています。 
          今から100年も前のこと。 
          鉄道や道路の交通が不便な時代に、 
          手甲に脚絆姿で日に十数里も行く温泉めぐりの旅をしています。 
        <私は信州の渋温泉から、上下八里の嶮しい草津峠を越して、 
          白根の噴火口を見て、草津に一泊して、 
          そしてそのあくる日は、 
          伊香保まで十五、六里の山路を突破しようというのであった> 
          (『温泉めぐり』より) 
        草津温泉に1泊した花袋は、4時に起きて湯に浸かり、 
          女中を起こして朝食にありつき、大きな握り飯を3つ作ってもらい、 
          <そして脚絆をつけ草鞋(わらじ)を履いて勇ましく出かけた> 
          と記しています。 
          旧六合(くに)村へ下り、暮坂峠を越え、 
          沢渡(さわたり)温泉に立ち寄り、中之条町からは吾妻川を 
          渡しで渡り、その日の午後4時には伊香保温泉に到着しています。 
        花袋自身も、25年も前のことで 
          <今ではとてもあんな芸当は打ちたくても打てなくなった。 
          旅は若い時だとつくづく思わずにはいられまい> 
          と語っているものの、 
          それでも現代人には到底真似できない健脚ぶりです。 
          それほどまでに旅好きで、温泉好きだった花袋は、 
          今で言う温泉ライターの先駆者だったと言えます。 
        そんな尊敬する大先輩の名を借りた講演会に 
          講師として招かれたことは、 
          まさに温泉ライター冥利に尽きるというものです。 
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