前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第1回
福祉社会視察旅行へ

私は1969年の夏デンマークへ来ました。
横浜からは船、シベリアからは空、
ストックホルムからはヒッチハイクの旅でした。
その頃、学生だった私は共産主義が来るべき世界の理想として、
周りで語られるのに疑問を抱きました。
周りを見ても自分のことを考えても
「欲しいだけとって、働けるだけ働く」と、
そんな立派な社会に適応できるとは思えません。
だから日本も自分もこのままではダメだなのだと思っていました。
その頃は「おもいて学ばざる」で
「あやうし」だから「ダメ」なのは
自分の考えの方なのだとは気づいていませんでした。

共産主義の実践で飢えて死ぬ人や
思想統制の犠牲で死ぬ人をたくさん出しましたが、
壮大な実験の結果は失敗だったようですね。
最近になって、聖書関係の本で
「人は地上の天国をめざすと、そこに地獄を作り出す」
と言われているのを知りました。
案外昔から実例があって、
すでにこのことでは結論が出たことがあったのですね。

その頃はそんなことは知らずに考え悩んでいましたが、
日本で考えてるだけではダメだと思いたち、
一番その理想に近い国にいってみることにしました。
というと思い切りが良いように聞こえますが、
私は元々思い切りは悪くて何かを決めるのに時間がかかるのです。
新学期に覚悟して休学届けを出してから
決心を固めるまでに2ヶ月もかかりました。
このタイトルだって孔子さんから借りるなら
本当は「三十にして立つ」でなければならないのです。
Qさんも独立自営するなら「四十歳からでは遅すぎる」と
本の題名にしているぐらいですから。

さて私はカール・マルクス達のいう理想の社会とは、
自由があって平等で、
社会の保障が充実しているということだと解釈しました。
私はその国はどうみても
ソビエトや中国の共産圏ではなくて北欧であろうと思って、
大学を休学して北欧に向かいました。
しかし、そういったものが満たされたとしても
それは果たして人間にとって理想に一番近い国なのでしょうか?
それを知るためには、
言葉も覚えて最低でも二年間は必要だと思いました。
しかし、英語はきわめて苦手なのに
デンマーク語を二年で覚えるのはとても無理でした。
そんなわけで二年間のつもりで来ましたが、
デンマーク人が非常に気に入ったので
視察旅行のはずがそのままここに住んでいます。
視察の結果はおいおい書いていきますが
「福祉が充実すると人間はこうなる」と、いう
簡単なものではないようです。

2005年10月14日(金)更新
- このコラムは連載終了いたしました -

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■前川 正博 (まえかわ・まさひろ)
1947年中国・大連生まれ。大学を休学して北欧へ向かい、
デンマークの施設で知的障害者の日常や作業の介助、
幼稚園での勤務等を経験。
88年に友人と二人、コペンハーゲンで一時間仕上げの
ミニ現像所を始め、95年、友人と別れて完全に独立。


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