お金の貯まる人はここが違う

お金との"付き合い方"指南




はじめに

お金に対する関心が艦かに強くなってきた。
貧乏な時のほうがお金の必要度が高いから、
「お金、お金」と言いそうなものであるが、
貧乏人は最初からあきらめているのか、
あまりお金の話をしない。
むしろお金にあらぬ藤鶴敏を燃やして、
「お金の話をするのは下品な根性だ」と見下したりする。

新聞記者、雑誌記者、文士、文芸評論家にそういう気風の人が多く、
私が小説を書くかたわら、株式投資や金儲けの文章を書きはじめたころ、
「あいつに直木賞をやったのは間違いだった。
邱永漢クンのようにならないように」と、
あとから直木賞を受けた後輩たちに教訓を垂れた大先輩もいる。

私に言わせると、
人びとが関心を持つことはすべて文章書きのテーマである。
男女関係とか、恋愛とか、
セックスの葛藤は小説家の格好の「飯のタネ」であるが、
金銭関係や商魂や強欲、節約の精神だって、
それに負けないくらい読者の心をとらえるものであろう。
小説という形式をとるかどうかは別として、
セックスに対する私小説があるなら、
お金に対する私小説があってもおかしくないし、
またそれをエッセイとか、
論文といった形式で表現することも許されてしかるべきであろう。

そう思って、私は株式投資からスタートをし、
やがて不動産投資、企業経営、借金の仕方、
節税、女性の実業界進出など多方面にわたって執筆をするようになった。
私の書くものにはハウツー物としての実益性もあるが、人生の幸福とか、
経済現象を貫く人間心理とか、
人の心とのかかわりあいを扱った部分もたくさんある。

殊に、日本が成熟化社会へ突入してきたころからは、
意識的にそういう面に力を入れてきた。
そのせいかどうか、昭和五十九年に出版された
私の著書は全部で19冊あるが
(うち装をあらたにして昔の著書を再版したものが11冊)、
その中で、ベスト・セラーズの仲間入りをしたのが6冊あった。

読売新聞出版部から出された『賢者は中金持ちをめざす』と、
ごま書房から出版された『邱永漢の株入門』、
『邱永漢の商売入門」の二冊もその中に加わり、
「洛陽の紙価」を高めるほどではなかったが、
担当者たちの自信を深める結果になった。

そこで「同じ柳の下にドジョウは三匹いる」とばかりに、
三匹目を狙うことになった。
おそらくこれが「最後の一匹」になることは確かであるが、
うまく出版社の掌中に入るかどうかは、
実際にざるを流れの中にくぐらせてみるまではまだ何ともいえない。

ただ「下品な根性」と見なされたお金の話が
これだけもてはやされるようになったところをみると、
「下品な」のは私だけではなくて、
日本国民の大半が「下品な」方向に向かって動いてきた証拠にはなろう。
貧乏なあいだは、お金に関心を示さなかった日本人も、
「豊かな社会」に安住するようになると、
次第にお金の重要性を認識するようになったし、
もしかして自分もうまくお金を運用していけるのではないかと
考えるようになった。

食うや食わずのあいだは、収入があっても
「手から口へ」「右から左へ」と消えてなくなり、
貯蓄も容易でなかったが、住宅ローンを利用して家を買ったり、
一世帯あたりの平均貯蓄が六百五十万円(一九八四年)に達するようになると、
どういう具合にお金を動かしたら、財産をふやしたり、
家計を安定させることができるかが、
当面、切実な問題になってきた。
いくらかでもお金を握ってみると、
お金に対する知識のあまりにも貧弱なのに驚き、
急に勉強をする気にもなってきたのである。

この傾向は、一家の主人として経済面や収入面を担当している
中年以上の男性だけでなく、
婦人層と若年層に急速な拡がりを見せている。
新年(一九八五年)になってからの雑誌の特集記事は、
ほとんど「金銭」で埋め尽くされた感じがあり、
おかげで私は、婦人雑誌や若い人たちの読む雑誌にまで
つぎつぎと引っぱり出され、
やたらと新聞に顔写真が載るようになった。
なんでも、私の容貌は「金儲けのセンセイ」にふさわしいそうで、
本屋さんの店頭を見ると、
平積みになった書籍の棚の常連になってしまった観がある。

『女はお金で勝負する』(グラフ社)、
『女の財布』(世界文化社)、
『努力しないで金持ちになる法』(青人社)といった
新刊のタイトルからも想像されるとおり、
今やオンナ、コドモを対象とする商人になってしまった。
もう故人になってしまった檀一雄さんがよく冗談半分に、
「小説家もオンナ、
コドモをダマすようにならないと一人まえになれない」と言っていたが、
まさかこういう形で広く国民に支持層を持つようになるとは
想像してもみなかったことである。

さて、こういう社会環境になったので、
一からお金を貯める人たちのために、
そのABCについて教訓を垂れてほしいと話を持ち込まれた。
これも檀一雄さんの口癖だったが、「いちばん売れる文学は、
何だかんだと言っても、
結局は説教文学だよ、吉川英治を見なさい」だそうである。

クドクドと説教するのは私にいちばん似合わないことであるが、
お金を貯めるためには克己心の持ち合わせがないとうまくいかない。
「お金の貯まる人はこういうところが違うんだ」と力説しているうちに、
気がついてみたら、いつの間にか、
説教口調になってしまっている。
これではどうかと思うが、ただせめてもの救いは
「爪に火をともすような」ケチケチをすすめていないことであろうか。
豊かな社会になれば、「食うものも食わずに」というよりは、
「頭を使って」、「チエをしぼって」お金持ちになるのがよく似合う。
というわけで、「さあ、いまからでもおそくはない」、
「この本に書いていることをすぐにも実行に移して」、
「中金持ちへの道を急いでください!」





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2015年8月12日(水)

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