元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第363回
倉本四郎はいい奴でした

「母はボケ」の話の途中ですが、
今日は緊急に原稿を挿入します。 

僕の親友でやはり食道ガンと闘う、
作家の倉本四郎さんが心嚢に水がたまり、
呼吸が苦しくなって入院した話をまえに書きました。
倉本さんは野口整体という気功術に精通していて、
自分の気をコントロールできる達人でしたが、
さすがに今度は応えたようでした。
ホメオパシーや蕎麦湿布まで使って
いろいろ養生工夫したのですが、
間に合わず、切開手術で水を抜きました。

僕が見舞いに行くとまるで修行僧のようにして、
体の負担を軽くするために
ベッドの上に上手に座って寝ているのです。
倉本さんの弱る心を支えるように、
病室に簡易ベッドを持ち込んで奥さんが看病していましたので、
安心しておりました。

「退院したよ」 2週間ほどして電話があったのですが、
いつもと違ってちょっとロレツがまわらないのが心配でした。
どうも、手術の後、痛み止めのモルヒネをやったらしいのです。
そして、僕が講演旅行で関西を回っているさなか、
突然、うちのカミサンからホテルに電話が入ったのです。
「しろーちゃんが亡くなったの・・・」
一瞬、ハンマーで殴られたようなショックを受けました。
もう、30年来の付き合いです。
特にこの2年は食道のガンの苦しみを分かち合った仲です。
わが身の分身が引き裂かれる悲しい気分となりました。

倉本四郎さんの治療で唯一心配だったのは、
タバコがどうしてもやめられないことでした。
僕も昔の体験からいろいろアドバイスもしましたが
間に合いませんでした。
ちょうど、長崎で看護師さんをやっておられた、
通称“蝶々さん”という女性が心配して、
禁煙用のニコチンパッチと
ニコチンガムを送ってくれたことがありました。
でも、様態はそれどころではなかったのです。

まだまだ倉本さんには、
独特の作品を書いてもらわねばならないのに、
さぞや、本人も悔しい想いでいっぱいだったでしょう。
僕も、悔しくて悲しくて海辺のホテルで呆然としてしまいました。
奥さんに電話をすると、
「いろいろありがとうございました」と気丈な声でしたが、
残念です、残念ですと繰り返しておりました。

「僕、遺書川柳つくったんだ」と
575の句を二つ三つ、ベッドの上で読み上げたときの、
あの茶目っ気のある笑みが忘れられません。
しろーちゃんが逝ってしまったなんてウソだろう。
どうしてもいなくなったとは思えません。
ホテルから長崎の“蝶々さん”にも訃報を知らせたのですが、
しろーちゃんが夜空に輝く星になってしまったのではないか――
そんな気分のメールになってしまったのです。

倉本四郎はいい奴でした。
でも、がんばり過ぎました。
ガンはがんばっちゃいけないんだよなあ。
心の弟を亡くした気分で悔しくてなりませぬ。

食道のガンってナメてかかってはいけません。
6月ジャーナリストが一人倒れ、
7月作家が一人倒れ
そして8月、
とうとう、しろーちゃんが逝ってしまいました。

まだまだ、やるべきことがあるのに、
神様って意地の悪いことをするものです。
あんなにベッドの上で、
素敵な笑みを見せてくれたのに。

いま南紀の海を眺めています。
ニコチンパッチをありがとう。
きっと、あの夜空の星のかなたから、
人懐っこい笑顔で手を振っていると思います。


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2003年8月25日(月)

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