元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第870回
ガン患者は壊れた「機械」ではない!

昨年は、日本列島を覆った、
台風災害や新潟中越地震、
さらに10万人を超える死傷者を出した、
インド洋大津波――、
あまりの天変地異の脅威に、
誰もが慄然とさせられました。
おそらく、1000年前の平安時代であれば、
これぞ人の世に悪運・変事をもたらす、
「凶兆、前表」と、陰陽師や占い師が、
大騒ぎしたことでしょうが、
そうしたアナクロな話は別にしても、
地球・自然という生命体に
温暖化、断層化の危機が忍び寄っていることは、
たしかでしょう。

生命体の変化といえば、
人間の命を軽んじる、
陰惨な怪事件も多発しております。
とくに、奈良で起こった小学1年生の女児の
誘拐殺害事件の残忍さは目を覆うものがありました。
白昼、帰校途中の女児に声をかけて
車に誘い込み、誘拐。
騒がれて困った36歳の犯人は、
風呂場で殺し、
6キロ離れた道路脇の溝で遺体を捨てたという事件です。
「娘はもらった」「今度は、妹をもらう」――。
挑戦的なメッセージとともに
母親に死亡した女児の画像を
携帯電話で送り付けるという手口に、
みなさんも、家族と一緒に、
憤りをもよおすととともに、
改めて「命の大切さ」について考えさせられたと思います。

どうして、こうした命を軽んじて平気でいられる
性格の人間が増えたのか?

それは、ずばり、個人や家庭の生活を便利にしてくれる
機械化の「わな」に、
私たちが知らず知らずの間に
はまっているからではないでしょうか?
自動車、パソコン、家電、携帯電話、ロボット・・・
どれも、人間に似せた「声」まで出して、
便利さを提供してくれます。
そして、こうした機械には、
「壊れれば捨てる」――ということが
当然のように受け入れられています。
昔の日本人は、
「モノにも命が宿る」として、
ヒトもモノも、自然の恵みとして感謝して、
大事にしてきました。
しかし、知らず知らずのうちに、
私たちの「命の倫理観」は蝕まれているのです。

ひるがえって、病気治療、ガン治療の世界も同じでしょう。
最新の医療技術を装備した
「機械のわな」が病院に蔓延して、
「人間の命を大切にする」という基本の原則が、
忘れられているのではないでしょうか?
未熟な医師たちによる、
医療ミス事件、ドクハラ事件だけではありません。
最新の機械による検査漬けや、
手術漬けの氾濫は、ほんとうに患者の命を守ることに
使われているのでしょうか?
いま、ガン病棟の背後にも、
命を軽んじる「機械妄信のわな」が、
たくさん隠されているのではないかと思うと慄然とします。
「医は算術」だけではいけません。
古い言葉ですが、やはり、
「医は仁術だ」という原点を見直す時代が来ていると思います。
ガン患者は、決して「壊れた機械」ではないのです。


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2005年1月13日(木)

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