元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1727回
こころの「置き薬」売り

「貧乏人は病院にかかれない」
「地方の人は病院にかかれない」
「高齢者やリハビリ患者は長期入院ができない」
この少子高齢化、さらに医療費財政の悪化による
医療制度改革で長期の入院や治療が打ち切られる――、
医療過誤、院内感染は蔓延する――、
すでに始った医療改革、いや改悪が、ますます、
こうした「患者漂流」を起こす――、
「患者の寂しさや悲しみをわかる」
医師や医療関係者は少なくなる――、
という話をしてきました。
数十年前までは、日本でも、
もう少し人情味のある医道がなされてきましたが、
少子高齢化や財政負担増という長寿災難現象が、
「患者漂流」時代を加速させることになったわけです。

これは30代40代、50代にとっても他人事ではありません。
故郷の老父母が大病院に長期入院できないとなれば、
子供や家族が介護せよ! と国家が命じているわけですから。
さらに、僕たちのような中高年患者は、
患者本位の医療改革を待っていたのでは
寿命が持たないようですから、
なんどもこのコラムで書いているように
「己のいのちは己で守る」「元気で長生きの養生法を工夫しよう」
スローヘルスの健康法
いや処世法がますます大切になってきたわけです。

さて、前回、まだ日本の医薬道に人情が溢れかえっていた時代の
富山の薬売りの話を書きました。
「心がシャキッとする『言葉』の置きぐすり」
(寺田スガキ・著 東邦出版 )
という本を紹介しながら、
昔の薬屋さんって、ただ風邪や腹痛の薬を売るだけでなく、
お客さんを元気にする
心魂のエネルギー源も置いていったものだ――
という話を書きました。

この本を開くと、数百年にわたって培われてきた
越中・富山の売薬商の知恵=「健康格言」はもちろん、
思わずうなずきたくなる「人生」「人間」「対人関係」
「仕事」「金銭」の生活の知恵=「言葉の置き薬」が
如何に患者や家族を勇気付けたかがわかります。
「日常の戒め10訓」の警句が圧巻です。
1、 高いつもりで低いのが教養 
2、 低いつもりで高いのが気位 
3、 深いつもりで浅いのが知識 
4、 浅いつもりで深いのが欲の皮 
5、 厚いつもりで薄いのが人情 
6、 薄いつもりで厚いのが面の皮
・・・(以下略)、
日ごろの欧米かぶれや合理志向の医道が反省させられ、
読めば心が和んでくる不思議な本ではありませんか?

年に一度、「反魂丹」
「熊の胃」といった薬を入れた藤行李を黒い風呂敷に担いで、
家々を回り、使った分だけのお金を受けとり、
古い薬は新しいものと入れ替える富山の薬売り・・・
もちろん、こうした薬行商は、
いまは現行の薬事法の下に沿った業者しか
認可されない時代ですが、50年、100年前には、
多くの行商人たちが「薬と人情といのちの金言」を、
置き薬とする「心身のケア」を背負って
全国を歩いていたことになります。

薬行商といえば、もうひとつ、いまから100年前の日露戦争後、
戦争で傷を負った傷痍軍人たちが生計の当てをめざして始めた
「オイチニの薬売り」という行商人たちがおりました。
金ピカの軍服まがいに盛装した薬屋さんが
手琴風(アコーデオン)を鳴らし、
「オイチニの薬は、良薬ぞ」と、
歌いながら売り歩いたというわけですから、
まさに、貧しい人々、
寂しさに沈む人々に語りかける薬売りというわけです。

田宮虎彦の小説「足摺岬」や
内田百閧フ随筆「摩阿陀会」などに、その物悲しくて
人情味溢れる姿が数々の近代文学の名作の中に登場してきます。

   ハイ オイチニ オイチニ 
病の根を掘り葉をたずね その効験を確かめて
 ハイ オイチニ オイチニ 
売薬商たる責任を 尽くし果たさんそのために
   ハイ オイチニ オイチニ 
春夏秋冬へだてなく 貧苦の人に施薬せん


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2007年5月20日(日)

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