元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1744回
ウイーン医学の「ふしぎ三角地帯」

夫婦して久しぶりに、ロンドン回りで、
ウィーン、ザルツブルグ、ブダペスト、プラハと
中欧をのんびり旅してきました。
しかし、齢60代後半の海外旅行となると、
若いころのように、日々の行動はもちろん、
健康維持もスムーズには参りません。
風邪を引かないように、体を冷やさないように、
携帯カイロを40枚ほど持参。
また、現地は肉食とじゃがいもが常食ですから、
食事も難儀するだろうと、前にもこのコラムで書きましたように、
「わが家の健康補強食品」
(ブラックジンガー、ラクティス、バイオブラン)のほか、
玄米パックや味噌汁パックなども
スーツケースにたっぷりと詰め込んで、
中欧珍道中に出かけたわけです。

幸いにも、飛行機でもレストランでも、
「ベジタリアン」のメニューに応じてもらえたのは
ありがたいことでした。
僕たちが利用した英国航空(BA)の食事で出た、
パスタやリゾットは予想外に美味しい。
また「ビジネスクラス」より料金が少し安い、
「ワールド・トラベラー・プラス」は席がゆったりしていますから
とくに中高年や菜食家にはBAはお勧めです。
但し、英国の飛行場での手荷物検査や
出入国審査はとても厳しいものですから
それだけは覚悟しましょう。

さて、今回の最大の目的地・ウイーンといえば
あの栄華を誇ったハプスブルグ巨大帝国の中心都市です。
とくに18世紀、19世紀は、
ご存知のように政治経済の中心地でしたが、
音楽、美術、文学が花開く歴史都市でもありました。
もちろん、僕たちもモーツアルトやベートーベン、
さらにエゴン・シーレやクリムト、
ミュシャの作品も肌身で愉しんで参りました。

ウイーンのベルべデーレ宮殿にて

なんといっても、ウイーンの西北に位置するオペラ劇場
「フォルクス・オーパ」で、
ヴェルディの「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」
を観賞できたことは最高でした。
劇場は音響に丸みがあってすばらしい。
幸運にも日本から予約しておいた席が、
前から3列目の右サイドで、
舞台もオーケストラも、いわばかぶりつきですから、
身魂心の丸ごとが打ち震え、
まさに感動のトキメキに浸ることができました。
ちなみにフォルクス・オーパは、
19世紀末の1898年、皇帝フランツ・ヨゼーフ1世の
即位50年を記念して創設された劇場で、
国立オペラ劇場ほどドレスアップしないでも入れるも魅力です。

オペラ劇場「フォルクス・オーパ」の休憩時間

ところで、観光客にはあまり知られていませんが,
ウイーンは音楽の都としてだけでなく、
医学都市としても深い歴史を持っています。
とくに市街の北西には、1365年に創設された、
ドイツ語圏最古・最大のウイーン大学(Universit舩 Wien)
の広大なゾーンがあり、
ここには、近代医学が「魔術から科学」へと脱皮する時期の
「記念館」とも言うべき、数奇な博物館が残っていますので、
スローヘルス研究の参考のために
覗いてみようと足を運んでみました。

ちなみに、ウィーン大学医学部の歴史は、18世紀末
つまり1745年に女帝マリア・テレジアがオランダから
ヘールラント・ヴァンスヴィートン(1700-1772)
を招いたことに始まります。
それまで横行していた中世の魔術医学=悪霊祓い医療を改め、
科学的な治療を導入しようとしたわけですが、
本格的な近代医学に至るには100年はかかったようです。
病気にかかると「瀉血」(しゃけつ)といって
大量の血を採るという無謀な医療が増える一方で、
薬をまったく否定する、
呪いまがいの自然治癒療法も蔓延したようです。
まさに医学都市ウイーンの18世紀末から19世紀末は、
「中世魔術医学」と「近代解剖医学」が両極端に錯綜――、
「いのちの地霊(ゲニウス・ロキ)」
が折り重なる都市でもあったわけです。
その歴史を証明するような数奇な博物館が3つ残っています。

●医学史博物館ヨゼフィーヌム (Josephinum)
●病理・解剖学博物館(Pathologisch-Anatomisches
  Bundesmuseum )
●フロイト博物館(Siegmund-Freud-Museum) 
どれも、おどろおどろしい
人体解剖標本がただ並ぶという博物館ではなく、
目に見えない「いのちの謎」、まさに「身魂心」を
丸ごとの「不思議を解剖」しようとする
地霊エネルギーの漂う空間ですから
僕はここをウイーン医学の
「ふしぎ三角地帯=トライアングル」
と考えながら訪れたわけです。


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2007年6月6日(水)

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