元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1816回
「科学的であれ、宗教家であれ」

日本古来の伝承習俗から迷信まで、
そして近代医学の裏で横行する
神秘ブームの弊害について論考した
沖野岩三郎・著「迷信の話」の続きです。

「いつしか漢方にあらず洋法にあらざる、
信仰治療にはしって行く者が多く出てくるのである」
その原因は何か?
「こんな医学の権威を落さしめた原因の一つは、
わが日本の医学教授があまりに唯物主義に偏したことである」
「医は仁術なり、などという言葉は唐人のねごとで(略)
その医者からはなれて、
親切と同情を持って病気を治そうという人の所に集まっていくのは
自然の通りである」――、と指摘する。
この本の内容紹介の続きです。

             *

「何々会社の社長が管長の指先から出るお光りを受けて、
ありがたがっているこの有様を一変して、
日本からこんな非科学的な療法を根絶せしめようとするには
ただ一つ方法がある。
その方法とは何であるか。私は保証する。
今日の日本の医者の多くが悉く彼の民間宗教家が、
きっと自分の信仰でこの病気を治してみせる
という信仰を持っているように、
この病人は必ず全快させる
という確信を持って治療することである。(略)

効きもしない注射液を注射したりしないで、
天理教布教師のように病人があると聞けば
頼まれなくとも押しかけていって
親切のありったけを尽くして治療してあげるという信念になって、
医院病院を経営していくならば
薬のない祈祷だけの治療よりも、
薬のある医者の治療が重んぜられることは単なる空想ではない。
もうそんな医者の現れるべきときである。
科学がどうの医学がどうのといっても、
結局は人間である。人の心に温情がなかったならば、
せっかくの科学も冷たい死灰である。

オランダへ行ったとき私はレンブラントの書いた
チュルブ博士の解剖という画を見た。
死体を手術台の上にのせてそれを解剖しながら、
チュルブ博士が説明している。
七人の博士たちがその説明を聞いている。
七人の顔にはみな緊張が漂っている。
その眼には同情のうるおいがあふれている。
たとえ学術上のためとはいえ、
こうして我らと同じ人間の肉を割き、
筋を切ることは実に気の毒千万だという風情が、
キャンバスににじみ出ている。
私はその画の前に立っている時、
自然と頭の下がる思いに打たれた。
今日の日本の医者が、
この人間に対する敬虔な態度が欠けている間隙に乗じて、
信仰治療のいろんな迷信がはびこるのである。
日本人よ、いま少し科学的であれ、
いま少しく真実な宗教家たれ、
そして日本を真の文化国たらしめよ。 =をわり=」

             *

軍国日本を暴走させた一つの因は、
陥りやすい催眠体質にある――、
いや、心魂性の極端な迷信に問題があるという指摘に始まって、
日本の学者、医者が、本来の「いのち学」の心魂を持って望めば、
いかがわしい代替療法や信仰療法、神秘療法を
のさばらせることはない――と言う「迷信の話」です。
みなさん、この50年前、100年前と変わらない、
私たちの周りの「いのちの状況」と照らし合わせてみて、
どう感じるでしょうか?
親切も同情も伝わらない医療や医学が、
マニュアル化され、制度化されればされるほど、またぞろ、
国も個人も
「いのちの催眠状況」に落ち込んでいくのではないでしょうか?
医療はもちろん、
あらゆる分野で詐欺や不正、倫理低下が横行しています。
自分のいのちは、くれぐれも「自分で守る」――、
これからはますます「催眠状況」に負けない
ホリスティックな人生設計が欠かせない時代だと思います。


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2007年8月17日(金)

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