元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2029回
「百年前の真実」を探る旅(4)

2月の末に、温泉保養を兼ねて
和歌山県の南紀白浜に数日間逗留していた――、
ガンを癒す、のんびり冬をすごすための
じつは、南紀白浜・保養の旅は、
百年前の「真実」を探る旅でもあった――
100年前の南紀・和歌山で、
僕の母方の祖父・沖野岩三郎を襲った、
「天皇暗殺・大逆事件」の真相を追って
この4月に、「大逆事件異聞―大正霊戦記―沖野岩三郎伝」という
350ページほどのノンフィクション評伝を刊行する――
という「百年前の真実を探る旅」の話の続きです。
拙著「大逆事件異聞―大正霊戦記―沖野岩三郎伝」
のさわりを、もう少し紹介しておきましょう。

               *

判決の衝撃が町中を走ったのは
沖野岩三郎が新宮教会の牧師として赴任していた34歳の冬である。

・絞首刑、大石誠之助(医師) 44歳
・絞首刑、成石平四郎(雑商) 29歳
・無期懲役、高木顕明(僧侶) 47歳
・無期懲役、峰尾節堂(僧侶) 26歳
・無期懲役、成石勘三郎(薬種売買・雑貨商) 31歳
・無期懲役、崎久保誓一(農業) 26歳

ある者はロシアに起ったアナーキズム、
虚無党思想にかぶれ、ある者は宗教社会主義を夢見て、
進歩派の医師・大石誠之助のもとに出入りし、
岩三郎とも親しく交わっていた仲間たちである。

しかし、大石が無政府主義者・幸徳秋水の
公私にわたるシンパであったこと、
また成石勘三郎・平四郎兄弟が
爆裂弾の製法研究をしたことなどが災いした。
青年期にありがちな悲憤慷慨にも似た政談茶話が、
検事の取調べによって、
巧妙に「天皇暗殺の共同謀議」としてすりかえられ、
紀州・新宮の町から大石以下6名が捕縄、検挙、起訴され、
わずか半年の後に絞首刑ないしは無期懲役の極刑にさらされた。
まさに100年前の暗黒裁判である。

ちなみに「陪審員制度」のような市民参加の裁判は
古代ギリシャ、近代欧米では発達していたが、
日本はいわば密室裁判の時代である。
事件17年後の昭和3年(1928年)、
やっと日本でも導入されるが太平洋戦争中の
1943年(昭和18年)以降停止。
そして、大逆事件から100年――、
民間の裁判員と公職の裁判官の立場を対等とする
「裁判員制度」が施行となり、
新たな言論の自由問題の議論を巻き起こしているとは、
誰しもが隔世の感をもよおすものだろう。(略)

           *

ガンを癒す、のんびり冬をすごすための
南紀白浜・保養の旅から、
話がトンだ脱線をしてしまったわけですが、
もし、僕が、10年前に、
食道ガンのむごい手術を許諾していたら、
もはや僕のいのちも尽きており、
こうした人間の歴史の深奥や、
いのちの不思議について書いた著作も
残すことができなかったわけで、
つくづく、最近は歴史の知恵を見直して、
元気に長生きをしてみるものだなあと思っているわけです。

さて、近刊拙著「大逆事件異聞―大正霊戦記―沖野岩三郎伝」は、
僕の小さな出版社の自社出版で刊行しますが、
全国書店やアマゾンなどのオンライン通販でも
購入できるようにしましたから、
興味がある人は読んでみてください。(注・4月発売です)
ちょっと、いわゆるマスメディアでは読めない
「百年前の真実」を知ることが出来るはずです。
詳しくは、また、このコラムでも紹介させていただきます。


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2008年3月17日(月)

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