第267回
「大家になって、家賃収入で生活する」

「大家になって、家賃収入で生活する」。
なんて魅力的な響きなんでしょう。
こういう状態になってしまえば、
生活の糧を得る手段としての労働は
必要がなくなってしまいますので、気が向けば、
好きな時に、好きな仕事を、好きな様に出来ます。

私が丸紅の本社にいた時、お客さんで
「家賃収入で十分生活出来るのだが、
家にいてもつまらないので
暇つぶしでサラリーマンをやっている」という人がいました。
その人は、「混んだ電車に乗りたくない」という理由で、
毎日、タクシーで通勤しており、
「給料のほとんどがタクシー代に消える」との事でした。

そういう人は怖いものがありません。
万一、上司から「お前なんかクビだ!」と言われても、
「ああ、そうですか」で済みます。
タクシー代程度の収入が減るだけですし、
それ以前の問題として、会社に行かなくなれば、
タクシー代もかかりません。

サラリーマンがどうしていやな上司の言う事を聞くかというと、
言う事を聞かないと、収入が減ったり、無くなったりして、
生活が立ち行かなくなるからです。
しかし、給料以外の収入で生活をする事が出来る状況になれば、
上司の顔色をうかがう事なく、
自分が思った通りの仕事をする事が出来ます。
もしかすると、その方が自信を持って良い仕事をする事が出来、
思惑とは反対に給料が増えてしまうかもしれません。

中国でも「大家」を意味する「房東(ふぁんどん)」とか、
「業主(いえちゅー)」という呼び名は、
一種の羨望の気持ちを帯びて発音されます。
中国語で不労所得を得る事を、
「不労而獲(ぶらおあーるふお)」と言いますが、
たくさんの部屋の「房東」になって、
そこからの家賃収入で暮らす事は、
「不労而獲」の究極の姿、と認識されています。

元々、毛主席は新中国を「労働者の国」と規定し、
自分は働かずに労働者から利益を搾取する資本家を
忌み嫌っていました。
しかし、今の中国の人たちはみんな、
「いかに楽して、たくさんお金を稼ぐか」、
「いかに搾取側に回るか」という事ばかり考えています。

今の中国の人たちに比べれば、
与えられた仕事に一生懸命取り組む
日本人サラリーマンの方が、
よっぽど毛主席の建国の理想に近い様な気がします。


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