第396回
「平均的中国人」

中国で「平均」を語る事ほど、
意味の無い事はありません。

例えば、お金持ちと貧乏人。
中国では一握りのお金持ちは
とんでもなくお金持ちですが、
明日食うものに困っている貧乏人も
果てしなくたくさんいます。

こんな状態で、
「中国人の平均年収は、約1,000ドルである」
なんて事を言っても、何の意味もありません。

こういう「平均」にとらわれていると、
マーケットを見誤ります。
「平均年収が1,000ドルの国で、
1,200ドルもする一眼レフデジカメが売れる訳がない」
とか、
「平均年収が1,000ドルなんだから、
1ドルの石鹸なら飛ぶ様に売れるはずだ」
とか、そういう誤った判断に至ってしまいます。

実際には、
平均年収を超える一眼レフデジカメが飛ぶ様に売れたり、
平均年収の1/1,000の値段の石鹸が、
全く売れなかったりするのが中国市場です。

こういう事が起こるのは、中国の年収分布が
「富士山型」である事が原因であると思われます。
あえて「平均」を出すと、多分、
3合目ぐらいなのでしょうが、
1,200ドルの一眼レフデジカメを衝動買いできる
8合目以上の人ももちろんいますし、
石鹸が1ドルでは高すぎる、と感じる1合目の人は
富士山の裾野の広がりの様に、
果てしなくたくさんいます。

日本の年収分布は、
真ん中が膨らんだ「つぼ型」ですので、
「平均」がだいたいボリュームゾーンになっています。
しかし、中国の「富士山型」では、
下にいけばいくほど人数が多くなりますので、
「平均」を出す事自体が、意味を成さないのです。

年収に限らず、日本では「つぼ型」なのに、
中国では「富士山型」に分布しているものが
たくさんあります。
学歴、能力、品格、容姿などなど。
こうした各分野で
8合目以上に位置する中国の人たちとつきあうと、
多分、日本人の中国人観はがらりと変わります。

勝手に「平均的中国人」像を作り上げて、
「「中国人」というのはこういう人たちだ」
と一括りにして語る事は無意味です。
私たち日本人が中国でビジネスをするに当たっては、
まずは、「「中国人」とは日本人よりも
ずっと多種多様な人たちの集合体の総称である」
という認識をする事が必要なのではないかと思います。


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