第675回
「金は天下の回りもの」

北京のお金持ちのおカネの儲け方は、
私にとっては全然参考になりませんが、
おカネの払い方には学ばせてもらうことが多いです。

「第227回 いいじゃない、マクドナルドぐらいAA制で」
でもお話ししましたが、
中国には基本的に割り勘という概念がありません。
みんなで一緒にご飯を食べたら、
誰かが一括して支払いをします。

そこで「オレが払う」、「いやここはオレが」という
支払い合戦となるのですが、
中国人の中でも、支払い合戦に加わっているのを
見たことがない人や、
加わってもサイフを出しただけで
すぐに引っ込めてしまう人はやはりいます。

しかし、私の知り合いのお金持ちは、
例外なくみんなにおごります。
人数が10人以上いようが、
その中に今日始めて会った人がいようが、
関係なくおごります。

よく日本のサラリーマンで、
会社の経費だと人におごったりしてバンバン使うのに、
自分のおカネになると急に渋くなる人がいますが、
北京のお金持ちは、自分のおカネを
会社の経費のようにバンバン使うのです。

ま、金銭的に余裕があるし、
みんなにおごればメンツが立つ、
というのもあるのかもしれませんし、
オレはお金持ちなんだから、
みんなにおごるべきだ、という
「ノブレス・オブリージュ」のような考え方も
あるのかもしれませんが、
どうもそれだけではなさそうです。

そうやってお金持ちをよく観察していると、
どうも「おカネをたくさん使うと、
その使ったおカネが仲間をたくさん連れて戻ってくる」
というような潜在意識があり、
その意識が常にお金持ちをして、
気前良くおカネを使わせているように思います。

「金は天下の回りもの」。
江戸時代の江戸っ子は、
この潜在意識をこう表現しました。
おカネは使えば、次々と人の手に渡って、
いずれは自分のところに帰ってくる。
おカネは使うものであって、
貯めるものではない、ということです。

私は基本的にケチなので、
なかなかそういう境地に至ることができないのですが、
北京のお金持ちや江戸っ子のそういう考え方は、
見習わなければいけないなぁ、と思いました。


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2007年2月14日(水)

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