第1071回
中国の人たちが政治の話をしないワケ

日本では衆議院議員選挙の選挙戦が始まり、
自公連立政権から民主党を中心とする政権に
政権交代が行われるかどうかに注目が集まっています。

民主党を中心とした政権ができた場合、
中学生までの子供1人当たり
月額2万6000円の子ども手当がもらえる、
高速道路が無料化される、
ガソリンの暫定税率が廃止される、
公共事業が激減する、天下りが全廃される、などなど、
今までにはなかった政策が打ち出されるということもあって、
会社が終わった後、同僚と一杯飲みに行っても、
その政策の是非についての話に
花が咲いているのではないかと思います。

一方の中国では、
食事の時などに政治の話はほとんどしません。
それは「どこに中国共産党のスパイがいて
密告されるかわからないから」というような
前時代的な理由ではなく、
共産党一党独裁体制の国で政策の是非について語っても
詮ない話だからです。

しかし、これはもし中国が民主主義国家になったとしても
変わらないのではないかと思います。
民主主義国家になって
国民1人1人に選挙権が与えられたとしても、
そこにいる数人が「今の政府の政策はおかしい!」と
気炎をあげることが国の政治を
変えていくとは思えないからです。
中国の人たちはそういう無駄なことには
労力を使わないのです。

その代わり、一度決定された政策についての
情報交換は頻繁に行います。
そして、その政策が自分の利害に関わるとなれば、
すぐに対策を打ちます。

「国に政策あれば、民に対策あり」。

国の政策を変えようなどという
多大な労力がかかることはしないのですが、
国が決めた政策の範囲内で
一番うまく立ち回るにはどうしたらいいのか、
という対策には全力で取り組むのです。

このため、中国の多くの人たちは
国に対して何の期待もしていません。
「誰がこの国の王様になろうとも、
オレはうまく立ち回ってしぶとく生きて行く」
という考え方が、
中国の人たちの心の奥底にあるような気がします。
これは会社との付き合い方にも同じことが言えます。

国や会社に依存せず「自分株式会社」の社長として、
自立してしぶとく生きて行こうとする中国の人たち。
国や会社に依存することに慣れた私たち日本人が、
彼らに学ぶべきことも多いのではないか、
と私は思います。


←前回記事へ

2009年8月21日(金)

次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ