第1237回
「機会の平等」と「結果の平等」

日本のニュースを見ていると、
「中国は格差問題が深刻である」というような報道を
よく目にすることがあります。

しかし、私が中国にいて感じるのは、
中国にはもちろん「格差」はありますが、
それは必ずしも「問題」ではなく、
「問題」があるとすれば、
それは「貧困問題」である、ということです。

中国には「機会の平等」さえ保証されていれば、
後はその人個人の才覚や努力の問題であり、
「結果の平等」を求めるのは不合理である、
という暗黙の了解があるように思います。
そこは「結果の平等」を求める傾向が強い
日本とは大きな違いがあるように思います。
もう、どちらが社会主義国家がわかりません。

こうした話でよく引き合いに出されるのは、
汚職絡みで逮捕されてしまいましたが、
国美電器の創業者・黄光裕さんです。

黄さんは生まれ故郷の広東省の貧しい農村を飛び出し、
内モンゴルで出稼ぎした後、
18歳の時に北京の珠市口で100uの電器店を開業。
その後、中国の電器メーカーとの
直接取引と安売りで業容を拡大し、
20年弱で国美電器を中国最大の家電量販チェーンに育て、
黄さんは中国一の大富豪になりました。

中国では「オレは農村戸籍だから」とか
「私には学歴がないから」などと言っている人は、
「じゃあ、なんで黄光裕さんにはできて、
あなたにはできないんですか」と言われてしまうのです。

全国で年間9万件起きている、
と言われる暴動が発生する理由も、
「貧富の格差が大きく、
「結果の平等」が担保されていないから」
ではなくて、
「汚職や無茶苦茶な行政で、
「機会の平等」が担保されていないから」です。
一般庶民は役人たちが
自分たちには与えられていない権限を濫用して、
私腹を肥やして金持ちになっているから
怒っているわけであって、
真っ当な方法で金持ちになった人を妬んで
暴れているわけではないのです。

「機会の平等」と「結果の平等」。
中国は「働いても働かなくても月給36元」という
「結果の平等」で著しく国力を落とした
社会主義時代を経て、
その後、「機会の平等」が得られれば、
後は自分のリスクで人生を切り開いていく、
という資本主義時代を迎え、
それが今の中国の活力の源にも
なっているように思います。

日本が活力を取り戻すためには、
セーフティーネットは設けるにしても、
社会主義国家のような「結果の平等」を求めて
「貧富の格差=問題」と捉えてしまうような雰囲気を改め、
今の中国のような「機会の平等」を尊ぶ雰囲気を
醸成する必要があるのではないか、
と私は思います。


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2010年9月13日(月)

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