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61. 四川大地震の地より
「地震からあけた二日目、
私が住むここ四川大地震の地、成都では飲み水を買うことすら出来ませんでした。」

1. その瞬間街はひどいパニックでした。

地震が起きたその瞬間私はオフィスで会議をしていました。
突然の揺れに私も状況が理解できませんでした。
その後、日本人の人々が声を合わせて言っていたのは
「四川で地震があるわけないと思っていた。」ということで、
私もその考えが強く、そのため地震という現象を把握するのに時間がかかりました。
ましてや、私のスタッフを含め、こちらの中国の人々は
ほぼ全員と言っていいほど地震の経験がなく、
はじめての地震に悲鳴をあげる人、突然逃げ出す人で町中が大混乱でした。
幸い私のオフィスの人間には、
「まず、机の下に隠れて安全を確保しろ。」と指示をだしました。
ただ、階下のイトーヨーカドーおよび伊勢丹の顧客や従業員は、
揺れはじめた瞬間から逃げるために駆け出す人々で溢れていました。
とても危険な行動を取る人であふれていました。
隣のビルでは、ガラス窓が割れて落下していました。

私は、逃げ出すと同時に、すぐに訪れるであろう通信障害に備えて、
家族、そして邱永漢東京事務所に向けて、
非常用に持っていた日本の携帯電話から
「ひとまず生きています。」という旨のメールを送りました。
現地の携帯電話はそれから48時間ほど使い物になりませんでした。
あたりを見回すと、街はパニックでした。

2. 知識がないことは災害時、とても怖い

今回の地震で怖いと思ったことがいくつかあります。
何より知識がないことの怖さです。
冒頭にも書いたとおり、現地の人々は揺れると同時にパニックになって
われ先と人を押しよけながら逃げました。
本来地震の際は、まず、なにより自分の身の安全、
特に頭部を保護するのが第一です。
そして、可能であれば、出口を確保したり、火元、ガスを処理する。
地震がいったん収まってから、
安全な通路を経由して、広場等の安全な場所に避難する。
日本では当たり前の知識ですが、こんな行動を取った人は皆無でした。
見ているだけで危険な状況でした。

3. デマはもっと恐ろしい

今、成都ではたくさんのデマが流れています。これがとても恐ろしい。
余震については、デマが街の混乱をさらに煽っていました。
一日に何回も、「3時から4時の間にM6級の大きな余震がおこる。」
という情報を人づてに、また携帯メールを通じて知らされました。
しかし、あたりまえですが、地震や余震が予測できるのであれば
こんな安全なことはないわけです。

こういったデマの中で、更に恐ろしいのは
水や電気といった人々のライフラインに関わるデマです。
最初に書いた、「飲み水を買うことが出来ませんでした。」というのは・・・

地震から二夜明けた日の午前、
私は自分の焼肉店の1号店にて安全確認をしていました。
そのとき一人の従業員が
「社長、あと数十分で水が止まるそうです。
成都の水道水の源泉である都江堰(ドゥージャンヤン)という地域で
化学薬品工場が爆破し、上流の水源が汚染されたことが原因です。」
という話を友人から聞いたというのです。
この話は、一瞬の間に成都市全体に広がり、
5分もすると、すぐ目の前のキオスクのような店の水がまず全て売り切れ、
水屋に人が殺到していました。
最初はまったく相手にしていなかった私も、
自分の家族、160人の従業員の安全を考えると水の確保に走らざるを得ませんでした。
しかし、たった数分で時すでに晩し。
飲み水を買うチャンスはありませんでした。
車を走らせ、小道に入ったところで、
まだ、この知らせを知らないようすの人々がのんびりと道端に座りこんでいました。
そして、私の目に果物屋の姿が入ってきました。
すかさず、そこで数十本のジュース・お茶とそして30玉近いスイカを買い込みました。
万が一、家族と従業員が水分の補給に困ったときに、スイカなら最適だと思ったのです。

その夜、この情報がデマだったという政府の通知を携帯メールで受け取りました。
しかし、市民の反応は
「政府が本当のことを言うわけがない。私の現地にいる友達も本当だといっている。」
というもので、いざというときは政府の言うことは信じられないという姿勢でした。
真相はいまだにわかりません。

関東大震災でも、同様にたくさんのデマが流れ、
それによって数万人の死者まで出たという話は有名です。

この、デマの影響、そして数百万人に対してたった数時間で広まる感染力に
そら恐ろしい力を感じています。

今もいくつかのデマがでまわっています。

4. そのとき日本企業は・・・

地震の日の夜、メールを空けると、
重慶領事館や、日本商工クラブ等々のメールがはいっていました。
その中には、震災にあたり物資が必要な場合は
遠慮なく申し出て欲しいというイトーヨーカドーからのメールや、
全ての人を対象にした東京海上日動火災保険からの
無料医療相談提供のメール等があり、
「ほんとにありがたいな。」、という思いをひしひしと感じました。
また、東芝の友人に電話をすると、
会社の命令で奥さんをまずは上海に退避させる指令が出て
既にその準備を始めているとのことで、
日本企業の安全管理の意識の高さと対応の早さを感じました。

5. 私はいまとても臆病になっています。

水のデマが流れたとき、「これはいかんな。」と思いました。
そして、妻と5ヶ月の子供をいったん上海に退避させることにしました。
今、私はなんだか自分がとても臆病者になってしまったように感じています。
数年前の自分はもっと楽天家でなんというか、こういった臆病さはなかったのです。
しかしよく考えるとそれは責任の大きさなんだと思います。
そして、自分の命に対してどれだけ真剣かどうかということだと思います。
こういった非常事態においては、ボーっとした人間からまっさきにだめになっていきます。

わが師の邱永漢先生を例にだせば、
邱先生が台湾から亡命したとき、
当時の台湾政府をに対する国連向けの提案が新聞に載ったその日に、
荷物をまとめて香港に飛んでいます。
もし先生にこういった"正しい臆病さ"がなければ、とっくに殺されていたはずです。
守るべき家族と多くの従業員を持ってはじめて、
私は正しい臆病さを見につけたように思います。

6. “いまなにをすべきか?”考えています。

私の心はいま少し動揺しているように感じています。
今、どうすべきか、何をすべきかについて答えがはっきりとしていません。
個人として、会社として、誰に何を、どこまですべきか。

災害の時は、皆が苦しい。

そのとき例えば、自分のポケットに100円玉一枚しかなかったらどうするか。
赤十字の募金ボックスにチャリンと入れるか?

例えば、目の前でたくさんの人が溺れそうになっているとき、誰の手から引き上げるか?

やはり、私は自分の家族から助けます。
そして、次に親戚、友人、知り合いと・・・。
自分の体力の続く限り引き上げてやると思います。

自分の力量の中で周りの人に何がしてやれるのか、今考えています。

PS
安否を気遣うメールを下さった読者の方、そして友人のみんな、ありがとう。
まだ街は少し混乱していますが、私は大丈夫です。頑張っています。


2008年5月19日(月) <<前へ  次へ>>