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212.関心という名の愛情

私たちが中国から派遣している日本で働く研修生が
中国に帰国したいといいはじめたという話を先週しましたが、
その中には、大阪のとある企業さんもいました。
そういう声が聞こえてきたのを心配に思い、
出張のスケジュールを調整し大阪にもいくことにしました。

地震やら放射能やらのリスクと
現状の安全性を一通り説明し終えた後、
研修生たちから以外な言葉を耳にしました。

「社長はわたしたちのことが好きじゃないんです・・・」

地震のあと、「大丈夫か?」といった声がなかったとか、
社長と直接話す機会が少ない、とか
私からすればそんなことでそういった不安を抱くものか?
という思いと、この6年間の中国の経験をへて、
中国人がいかに
「関心(グァンシン)」、
字の通り自分に対する関心の度合いを気にしているかを
よくわかっていますから、
その話を聞いた後にその会社の社長さんと
中国人の気質についてそんな話をしました。

「ああ、そうなんですね。
自分は従業員を守るということについては、
当たり前のことすぎて口にだしたこともなかったですけど、
ああ、勉強になりました。」

と中国人における関心を伝えることの大切さを感じておられました。

帰り際、社長が私たちを見送りに玄関までこられたときに、
一人の研修生が横を通りました。

社長は突然、
「きむさん、彼女に伝えてくれる?」とこんなことをいいました。

『僕は、小さな自宅の裏に工房があるようなケーキ屋で育ちました。
そこには、全国から住み込みの従業員さんがいて、
“家族”として全員がすごしていました。
従業員を家族と思うその気持ちは今でも変わらない。
日本人であれ中国人であれ、
万が一の時には命をかけて守りますから。』

力を込めてこの話を通訳しました。
初めて社長の気持ちを知った彼女たちに
どんな変化が起きたかはまだわかりませんが、
この瞬間だけで大阪に来てよかったなと思った次第です。

PS
数日後、こんな手紙が成都に届きました。
ご本人の承諾をいただきましたので掲載いたします。



フラワーで働いている実習生のお父さん、お母さん、家族の皆様へ

お父さん、お母さん、家族の皆
はじめまして、こんにちは

日本が地震で大変な事になっている為
日本で働いているお子様の事が、
とても心配に思われていることだとお察し致します。
できれば、
すぐにでも中国へ帰って来て欲しいと思われていることでしょう。
私も二人の子供を持つ親ですので、よくわかります。

今回手紙を送ったのは、私の気持ちを伝えたかったからです。
私の祖父・祖母の時代は和菓子を作って販売していました。
父の時代にケーキとパンを始めました。
工場は自分たちが住む家の隣にあり、家の一番奥の扉を開けると、
そこは工場でした。
工場で働く人の中には、遠く離れた田舎から来た人もいます。
その人達は家の近くの、会社が用意した家で住んでいました。
朝・昼・夜の御飯は私の住む家でみんな一緒に食べました。
お風呂も家で順番に入りました。
これは販売の仕事をする人も、田舎から来ている人は同じです。
定休日には、夏はみんなで海氷浴へ行ったり、
冬には雪の山へ行ったりしました。
子供の私もみんなに可愛がってもらい、
社員みんなが家族のようでした。

あれがら40年ほど時間が経ち、会社も少し大きくなりました。
初めは1つだった店が、今では7つ。
現在、定休日が無く休みは交代制です。
その為、みんな一緒にどこかへ出かけることなど出来なくなり
御飯さえ、なかなか一緒に食べられない状態になりました。
私も7つの店を持つようになると、手作りのケーキとパンの為
とても忙しい毎日で、
社員たちと話ができる時間が無くなってきました。

しかし私の胸の中にいつもあるのは、
私が小さかった40年前の「社員は家族」だという気持ちです。
この気持ちはいつまでたっても忘れません。

お父さん、お母さん、ご家族の皆さんは
東日本での地震の影響が、
もし、西日本のお子様が住んでいる所まで影響した時
もし、そのようになれば
お子様の親代わりが私の仕事ですので、
日本人、中国人の区別をせずに
安全で安心できる対応をすることを誓います。
また、それを当然だと考えています。
なぜなら、40年前に備わった
「社員は家族」が私の心の底にあるからです。

また、お子様が初めて日本に来られた時、
一番初めにみんなに言った言葉は
「家族と離れてとても心配だと思います、
それはお父さん・お母さんも一緒です。
何かあったら日本にいる時は、私が親代わりなので
困った時は来て下さい」ということも言ってあります。

毎日お子様のことが心配で
不安な毎日を過ごされている事だと思います。
さらに、これからの日本はどうなるかはっきりとわかりません。
どのようになるかわかりませんが、とにかく私の気持ちを
家族の皆様にお伝えしたく手紙をお送りさせて頂いた次第です。

もっと早く私の気持ちをお伝えしなくてはならなかった所
大変遅くなり申し訳ございません。

(株)フラワー
代表取締役
植松太施


2011年4月25日(月)

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