これを見てもわかるように、父の子に対する愛情も、言によってぶちこわされることがある。君主と家来の関係にはもとより愛惰は介在しない。そして家来どもの口は妾の口よりも数が多い。陳笠に囲まれた君主のもとでは、正しい人間が殺されてもけっして不思議ではないのである。
「むかし、秦の国では法をないがしろにしてもっぱら党利党略が横行していた。そのために国は乱れ、兵は弱く、君主は外国からバカにされた。商君は秦の孝公に説き、法律を改正し、風俗を矯正し、密告を奨励したり、重農軽商の政策をとった。秦ではむかしからの風習があって、法を犯しても罰をまぬがれる方法があったので、人民はたいしたことはあるまいと思って新法を犯した。犯した者は必ず重刑に処する政策を商君は果敢に実行した。また密告者には約束どおりの賞を与えた。そのために法を犯した者はことごとく捕えられ、刑に処せられる者はすこぶる多かった。人民は政府を怨嗟し、非難の声が高くなった。しかし、孝公はあくまでも商君の味方をして、その政策を支持した。ついに人民も罪を犯せば必ず罰せられることを悟り、ために法を犯す者があとを断ち、刑を用いる必要がなくなった。かくて国は治まり、兵は強く、国土は拡張され、孝公は諸外国からも恐れられる存在となった」(姦劫弑臣)
その商君も孝公が死ぬと、自分の地位が保てなくなり、逆に車裂きの刑に処せられる巡り合わせになった。これは人情として、たとえ罪を犯してもだれも罰せられることを好む者はなく、功がなくても立身出世したい者が多いからである。したがって為政者に法を運営するタクトがなければ、必ず陣笠連中の意見が入れられ、忠臣の意見が採用される可能性はないといってよい。
「諺に癩病患者でさえ王をあわれむということばがある。不敬きわまりないことばだが、諺というものには必ず一面の真理があるものである。これは、癩病患者は人づきあいができないけれども、姦臣逆賊の手にかかって殺される王よりはまだましだという意味である。もし君主に家来の悪心を封ずる手がなければ、いくら経験を積んでいても、家来に権力を握られ、うまくはかられてしまう。また君主の父兄や勢力家は、他の者が君主の力を借りて自分を殺すかもしれないとわかると、逆に君主を殺して、幼君を立てたり、賢主を廃して不義の主を立てたりする。……それゆえ、癩病患者は腫物ができて難儀をするが、首を締められたり、股を射抜かれたり、また飢死させられたり、筋肉を引き抜かれたりする君主に比べればまだましである。暗殺を恐れる君主の苦痛たるや、癩よりはなはだしいにちがいない」(姦劫弑臣)

  2

←前章へ

   

次章へ→
目次へ
ホーム
最新記事へ