相続人に期待する遺産―あとがきに代えて

香港に住んでいたころ、読む本に不自由して、街の本屋から英語の本を買って来て、かじり読みしたことがある。そんなことでもなければ、とてもチャールス・ディケンズを読む気がしなかったであろうと思われるほど、私はディケンズが膚に合わない人間であるが、そのとき、手にした彼の著書のなかに"Great Expectations"という一冊があった。なかを読んでみれば、これは"莫大な遺産"という意味であることがわかるのだが、私の貧弱な語学力ではどうしても"大いなる期待"と読みたくなってしまう。
なぜ、英語では"遺産"と"期待"が同じことばで表現されるのか、むろん、推測の域を出ないが、遺産をのこす者があれば、その遺産が自分のところへ転がり込んでくることを期待する人間が現われるからであろうか。"彼は期待を持っている"ということばが"彼は遺産を相続することになっている"という意味に解釈されるところをみると、遺産あっての期待であって、遺産が大きれば大きいほど、期待もまた大きくなっていく。けれども期待が大きければ大きいほど、その実現が待たれてしかたがないから、ついには財産の所有者が一日も早くくたばってくれることをも期待するようになる。かように期待は、たいていの場合、期待される当人にとっては迷惑千万なものであろう。
よく"文化的遺産"といって、無形のもの、たとえば思想のごときものも遺産のなかに含めることがある。同じ無形のものでも"暖簾"はこれを争うものがあるから、遺産のなかに含めても異論は生じないであろうが、思想ははたして遺産であろうか。
まず第一に、思想には特定の相続人が指定されておらず、誰でもこれを相続することができる。したがって、われこそは正統なる相続人であるといって正統派争いをする場合もしばしば見かけるけれども、もともと誰のものであると相続権の確立されているものではないから、争うほうが滑稽である。
第二に、思想は、たとえば貨幣のような一般的な流通性がないから、誰にでも通用するというわけにはいかない。ある人々にとっては金科玉条と考えられる思想も、他の人々にとっては三文の値打ちもないと思われることがあるし、また別の人々にとっては有害であるとさえ判断されることがある。思想が人間を決定するよりも、人はデパートのウィンドーから気に入ったアクセサリーを取り出すように、自分の気質にぴったりした思想を書棚から選び出して身につけるものらしい。
第三に、思想は、誰もそれを買わなくなればすぐに滅びてしまうが、逆にそれが世間の常識になってしまっても、同じように滅びてしまうものである。たとえば社会思想と呼ばれるものは、社会そのものが変革すれば、古いものは通用しなくなって滅びるが、未来を予言した思想は、予言が的中したとたんにその値打ちを失って滅びてしまう。逆にいえば、今日にいたるまで滅びないで生きのこった思想は、人間が自分で解決できない問題を取り扱ったものにかぎられ、その見解が必ずしも世間一般から受け入れられず、しかもそれゆえに、一部の人々からはかえって強く支持されているものにかぎられているのである。もしそうだとすれば、思想が思想であるかぎり、それは絶対性を主張しうるものでなく、その真理性はつねに相対的なものであるということができよう。
にもかかわらず、思想家は、少なくともそれを文字で表現した人々は、それが誰かによって、しかもできるだけ多くの人々によって、相続されることを期待している。つまり、思想がかりに"遺産"の一種だとしたら、この場合の"期待"は、物質的な遺産とちょうど逆に、遺産をのこす側が相続人たちに対していだくものではないだろうか。思想はつねに相続人をさがしているのである。
東洋で、思想がそれぞれ花を開き、その妍を競ったのは、いまから二千五百年もむかしのことであった。そのころ天下と思われたのは、わずかに黄河から揚子江にわたる地域で、揚子江を越えて呉を過ぎ、越へ入ると、そこはもはや化外の地だったのである。後世の人々から"諸子百家"と呼ばれている思想家たちが思想戦を展開したのは、思えばまことに小さな舞台においてである。その舞台がしだいに拡大されていき、いまや全世界さえ人類にとって狭いものとなりつつある。舞台が変わるにつれて通用しなくなった思想は次々と滅びていったが、どんなに広い舞台へ移っても、そこで踊る者が人間であるかぎり、人間を取り扱った思想だけはいまだに滅びないでいる。
ただ、ここ一世紀のあいだ、ヨーロッパ文明が生んだ武器の脅威を前にして、アジアの諸国はその脅威を取り除くために、なによりもまず自ら進んでヨーロッパ的な武装を、精神的にも物質的にも、自分のものとして消化しなければならなかった。そのため、ヨーロッパ的な思想の遺産が日本や中国に相続人を数多く見いだし、アジアの諸国はヨーロッパの思想家たちの期待を、その優越感とともに、じゅうぶん満足させたものと考えられる。そして、その分だけ東洋の思想家たちは相続人を失ったことになる。
人間はみな、なんらかの意味で"新しがり屋"であり、また新しいというだけでもその存在価値があると考えられる思想が、陳腐で時代遅れな思想を駆逐するのは理の当然である。けれども、新しいというだけでは、たとえばわれわれが新しい恋愛におちいったときにしばしば経験し、のちになってからようやくそれを悟るように、必ずしも相手を正当に評価していることにはならず、むしろ過大評価の原因となるものである。そして、そのことに気づくのはよほどの賢人でないかぎり、新しいものがもはや新しいものでなくなったときになってからである。
ヨーロッパ文明は、今日ではもはやわれわれにとって新しいものでなくなった。したがって、われわれは以前よりはよほど冷静な目で、それをながめることができるようになったのではなかろうか。と同時に、われわれ自身が長い歳月、そのあいだで育ってきた文明をも、あらためて客観的にながめることのできる時期がきているのではなかろうか。このことはけっして、われわれがふたたび東洋へ帰らねばならないという意味ではない。また、文明の優劣を問題にしようというわけでもない。異なった文明には、互いに異なった面と互いに類似した面があるけれども、元来、文明は甲乙をつけうる性質のものでなく、価値判断の基準のあるものではないからである。

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