婚約と言えば、指輪の一つも買ってあげること、結婚式と言えば、お客を招んでご馳走することくらいに考えていた私は、その煩わしさにびっくりしてぎゃふんとなってしまった。しかし、もうすでに乗りかかってしまった船だから、途中で下りてしまうこともできない。仕方がないから、間に立って使い走りをしてくれた阿二姐にお金を渡し、必要な物を買い揃えて、当日になると婚家に届けてもらった。こういう時は私のほうからも紅包(ホンパオ・寸志)が出るし、向うでも紅包が出るから、使いに行く人は大喜びである。しかし、使いの者が帰ってきたのを見ると、半分くらいは持って行った物が返されてきた。どうせ返されてくるのなら、私のような男の一人世帯ではあとの処置に困るのだから、必要なだけ要求してくれればよさそうなものである。それがそうならないのは、結婚式にショー的な要素があって、形式主義が大手を振って歩き出すからに違いない。
結婚式の前日になると、今度は女の家から嫁入道具を運び込んでくる儀式があった。私は結婚のために、同居していた簡君には引越してもらい、二人だけの新世帯を構えるつもりになっていた。マンションには部屋が五つあって、移ってから間もないから、家財道具はまだ新しいものがひととおり揃っている。そういうところへ自分の趣味に合わない家具などもらっても仕方がないので、もし嫁入道具をくれるなら、ベッドでも新調してくださいと言った。そうしたら家内の家中の人たちから笑いものにされてしまった。広東人の習慣では、ほかのものは何でも持参するが、ベッドだけは持って行かないものなんだそうである。
一事が万事この調子だったから、風俗習慣の違いから生ずるトラブルが次から次へと表面化してきた。女家で、あれをくれ、これをくれ、と要求するのも、過文定や過大礼の日に何が持ち込まれるか、わざわざ見に来る人がいるからであるが、逆に女家から男家に嫁入道具が持ち込まれる日も、男家の親戚や知友が何が持ち込まれるか見に来ることになっている。しかし、私のところは、両親をはじめ親戚は台湾にいて出て来られないし、私の結婚式のために姉が一人で東京からとんで来てくれただけで、あとは私を家内の実家に連れて行ってくれた趙太太が同席しているだけであった。
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