「ダテに年はとらず」

自分がそういう本の買い方をするようになったせいか、本を書く時には以前にもまして題名に気をつかうようになった。人の目につくためには人の目をひくような題名でなければならない。うっかりすると、題名だけ素晴らしくて羊頭狗肉になりかねないが、「買われるために本は並んでいる」のだから、それはやむを得ないだろう。
たとえば、ある時、中年から上になったら、どんな生き方をすればよいかについて一冊の本を書いたことがあった。いまの時代が若者にとってシラケの時代だとしたら、中年にとっては明らかにイジケの時代である。せっかく若者よりは多くの体験を積んできたのだから、もっと自信をもって生きてよいのではないかと私は思い、そういった内容の本を心がけた。
書きあげた段階で、まだ題名をきめかねていた時に、娘や息子たちとすし屋で落ちあった。すし屋のカウンターで箸袋をひろげて、私が「成熟社会のライフスタイル」とか「熟年の生活設計」とか、ごくありふれた題名からはじまって、「ダテに年はとらず」といくつかのタイトルを書き出したところ、隣に座っていた娘が即座に、「ダテに年はとらず」というのを指さして、「これがいい」といった。
「どうして?」と私が聞きかえしたら、娘が笑いながら、
「パパの自己顕示欲がよく表われていてよいじゃない?」
居並ぶ人がドッと笑ったので、たちまちきまってしまった。「男の人の自信のない生き方に対して、今の女の人は本能的に嫌悪感を抱いているので、こういう題にすると、頼もしく感ずるのよ」と娘は注釈をつけた。
私も実はこれがいちばんいまの熟年の心に響くのではないかと思っていたので、娘の意見に従ったが、この本ができあがってサイン会などでペンを走らせていると、数多い私の本の中で多くの人の手がしぜんにこのタイトルのところにのびてくる。
「ダテに年をとっているからなあ」と言い訳をしながら、題名だけで本を買っていくのである。
つい最近も、近来とみに人気の出てきたファッション・デザイナーの三宅一生さんと対談をしている最中に、一生さんが、突然、
「いつかは、やはりダテに年はとっていないぞ、年をとればいい服ができるんだぞ、というような服をつくりたいと思っているんです」
といった。間髪を入れず、
「では僕の『ダテに年はとらず』を読んでください」
といって拙著を一冊進呈したら、大笑いになった。どうやら人生も四十歳をこえてくると、年齢とか時間のことが心に重くのしかかってくるらしいのである。

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