十七歳から二十七歳までの学生気分が続いている間の十年間に考えることと、二十七歳から約三十年間にわたって生活者として考えることと、どちらが重要かといえば、もとより後者である。現にこの文章の中で扱っているのも、「仕事」を中心に生きる年齢層に達した人々の生き方の問題なのである。
もっとも、誰にでも青春時代があり、青春時代に考えることがすべて間違っていると断定することはできない。堀辰雄や太宰治の文学は、誰でも一度はとおる青年期の感情の起伏をテーマにしているから、ある意味では永井荷風や夏目漱石のそれよりも生命が長いといえよう。
しかし、青年期を通りすぎたあとが著しく延長され、二十七歳から三十年、さらに、そのあともまだ延々と生き続けるとすれば、二十七歳までをどう生きるかということよりも、それからあとをどう生きるかのほうがずっと大切である。
「短いようで長いのが人生」であり、また「長いようで短いのが人生」であるから、人生は生き方によって長くもなれば、短くもなる。長い人生を短く感ずるほど充実して暮らそうと思えば、恋愛をするような気分で人生を送るよりほかない。真剣になって恋愛をすれば、それでも結構張り合いはあるが、そのために家庭を犠牲にしたり、何回でも結婚をしなければならなくなる。何しろ、恋愛感情は成就しても失敗しても消滅してしまう性質のものであるから、長く持続させることは難しい。その度に人生が退屈な人生に変わったり、その逆になったりするのは、変化があって面白いかもしれないが、仮に恋愛の対象を変えて、仕事もしくは趣味のどちらかを恋人の代わりにすることができたら、人生そのものと一致するのではなかろうか。
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