忙しさにも優先順位がある
時間を見つけて、かねてからやりたいと思っていたことをやったらどうですか、とすすめられても、忙しくてとても手が回りません、と答える人がある。たとえば、私のところに出入りする週刊誌のトップ屋さんに「いつまでも無署名のトップ記事を書いていても仕方がないから、芥川賞か、直木賞でも狙ったらどうですか?」とすすめたことがあった。
「いやーあ。毎週の取材に追われていて、とてもそれどころの騒ぎじゃございませんよ」
と十五年前、まだ若かったその記者は私に答えた。「忙しい」とか「仕事に追いかけまわされている」とかいったことは、私に言わせるとやる気のない人の言い訳にすぎない。トップ屋をやっておれば、あちこち取材にとびまわるから、仕入れには事欠かない。忙しいことは事実としても、飛行機に乗っている時間もあろうし、新幹線に乗っている時間もある。
私のやり方でいけば、その時間はいくらでも原稿書きに使える。その時間も、トップ記事の原稿書きに追われているとしたら、夜、寝る時間とか、酒を飲みに行く時間があるだろう。現に、梶山季之はトップ屋をやっていたが、忙しいさなかで作品を書き、認められて大流行作家にのしあがった。梶山が時間がないと言うのをきいたことはなかった。時間がないというのは「そのために使う時間がない」ということであり「優先順序からいって後回しにしている」ということにほかならない。
だから、私のところへ出入りしていたトップ屋さんは今もトップ屋さんであり、年齢は五十歳に近づいたのに、芥川賞か、直木賞の候補になったという話をついぞきいたことがない。やはり「才能がなかったのだ」といわれてチョンであるが、「努力」も「実行力」も「才能」のうちである。
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