第三に結婚したとか、子供が生まれたとか、父親に死なれたとか、責任を痛感したのがきっかけで、仕事に自覚のできる場合がある。年齢的に、それを自覚する時期にきているといった場合は、とくに見違えるほどの変化が現われる。
こうした場合に、末知のものを探してとび出すこともむろん、あり得ないことではないが、どうせ"青い鳥"を探して彷徨しても"青い鳥"が見つかることは少ない。
自分の実力はこの程度で、自分のおかれた環境は大体、こんなものだから、いまあたえられた条件の中でベストを尽くすのが自分にふさわしいのではないか、と悟ってくればしめたものである。
好きなものを見つけに歩いても、好きでなかったものを好きになっても、好きなものができれば、人間の対処の仕方は同じである。
たとえば、自分の職場が好きになれば、仕事をやることが少しも苦痛でなくなるから、朝が早くても、夜が遅くなっても少しも気にならない。仕事が面白くなれば成績をあげようと思って努力するから、そのための時間が欲しくなり、家へ帰っても「仕事は仕事」「生活は生活」ということにならなくなり、「仕事そのものが生活」になる。
会社の仕事をそのまま家へ持ちかえらないまでも、仕事に役立つような知識を得ようとして、家へ帰ってから読書をしたり、夜学校にかよったりする。
また家から会社までの通勤時間を、仕事に役立てようと思うようになるから、電車の中で時間が無駄に浪費されるのが惜しくなる。職住近接という考え方は昔からあるが、実は「仕事」と「プライベートな生活」の接近の方が一足先で、職住近接はそのあとからついてくるものである。
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