自腹ゆえに本音、愛するがゆえに辛口。
友里征耶さんの美味求真

第23回
料理評論家は何を読者に伝えたいのか

私は料理評論家、フードジャーナリストの本や
雑誌の特集を読むたびにいつも疑問に思うことがあります。
彼らはいったい読者に何を伝えたいのでしょうか。
評価するにあたって何を優先しているのでしょうか。
その店、その料理人が最高の実力を発揮した際の
「おいしい特別料理」を食べて自慢してみたいのか、
読者が接することのできるその店の
飾らない「普段の料理」を食べて、
読者に真の店の姿を伝えて参考にしてもらうことを望むか、です。

取材目的や取材者の名を明かす「実名取材」という手法を
料理評論家、フードジャーナリストはとっています。
山本益博氏は、気になる店を発見したら
集中的に訪問を繰り返して料理人への接近を試みているそうです。
また、フレンチやイタリアンでは
同伴者が同じ料理を同時に注文するという、
通ぶるオーダーをして厨房のシェフへシグナルを送り、
「マスヒロ」が来たと思わせて
普通の一般客では味わえない最高の料理を食べられるよう
努力していることを公言してはばかりません。
「東京最高のレストラン」の各著者たちも本の中の座談会で、
取材を申し出ることによって料理人の態度が変わり、
おいしい料理を出してくれるようになったことを認めています。

山本益博氏の熱意に打たれた、
またはフードジャーナリストの取材を受けることを
了承した料理人は、普段より良い食材を使う、
もしくは同じ食材ならより良い部位を使って、いつもより真剣に、
持てる技量と手間をフルに使って
料理を造るということなのでしょう。
彼らを満足させたら、結果マスコミにも
よく書いてくれることが期待できますから。
でも、彼等が食べて評価している料理は「特別食」なんですよ。
これを対象にしてうまいのなんのって評価しても、
我々一般の読者にはまったく役に立たないのです。
その店に行っても、
同じようなレベルの料理が出てこないのですから
まったく意味がありません。
自分たちの特権で「おいしい特別料理」を食べて評価した
これら自慢話は、我々一般客の参考にはならないのです。
ではなぜ、参考にならない料理の評価を
得々と彼等は述べ続けるのでしょうか。

絵画やオペラから野球に至るまで、
普通一般客が鑑賞し、観劇し、観戦することのできない
特別仕立ての演目を対象に評論するような評論家はいませんよね。
わが国の料理店評論以外、
他の評論分野にはあり得ないことではないでしょうか。
ワイン業界で最も著名な評論家にパーカーという人がいますが、
彼が自分用に特別に造らせたワインでもって
評価していると公言したら、
世のワインラヴァーからは相手にされないでしょう。
日本の料理評論界はなかなか変わった業界のようです。


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