だから、日本の企業は恒常的に借金経営であった。自己資金の平均六倍を超える借入金で企業経営をする常識は、それまでのアメりカにも、ヨーロッパにもなかった。
日本の財政の再建にあたってアドバイザーの役割をはたしてきたドッジ氏は、日本を去るにあたって、「日本の企業が借金に頼りすぎた経営をしている現状はどう見ても危険きわまりない。もっと自己資本を充実することをすすめたい」と意見を遺して帰ったほどである。
しかし、日本の企業家たちはほとんどこのアドバイスには耳を傾けなかった。というより傾ける余裕がなかった。日本は貧乏国で資本がなかったし、資本を掻き集めることと、信用を創造して資本を創造することはすべて銀行の仕事だった。企業としては、証券市場で資金を集めるほうがずっとコスト高だったから、増資をして自己資本を充実するより、銀行が集めたお金を借りて、資金ぐりをするほうがずっと楽であった。
こうした借金経営は、日本が貧乏だったせいもあったが、日本の税法によって方向づけられた。たとえば、もし日本の政府が「借人金に見合う程度の配当金は、経費算入を認める」という税法を採用していたとしたら、日本の企業の自己資本比率は今日よりずっと高いものになっていたに違いない。しかし、現実の税法は、借金経営をすすめるものであったから、日本の産業黒は資金の大半を惜入金に頼ったままで今日に至っている。そしてドッジ氏のアドバイスにもかかわらず、むしろそのアドバイスとまさに正反対のことを続けることによって繁栄への道をまっしぐらに走ってきたのである。
とすれば、社会が常識としてきたルールは必ずしも正しくはなかったことになる。では何が日本人の借金経営を助けたのであろうか。一つ考えられることは、戦後の通貨は、金本位制とはほとんど無縁な紙本位制に変り、アメリカのドルを準備金として紙幣を発行できるようになったことである。紙本位制は常にインフレを伴うものであった。インフレを伴う経営体制のなかで借金をすれば、返済が楽になることは子供でも知っている。日本の企業はこうしたインフレに助けられて資産内容を改善し、実力をつけていくことができたと言ってよいであろう。
第二に、原料を加工して付加価値の高い生産に従事したので、売れるということが大前提ではあるが、よく売れさえすれば、急速に一品を創造することができた。日本の企業はたまたまそうした幸運に恵まれたので、借金の利息を支払らことができただけでなく、元金の返済をしながら、返済する元金よりさらに巨額の借金を起すことによって、次々と経営規模を拡大していくことができた。借金によって築きあげた生産設備だから、インフレによって日減りする分はすべてお金の貸し手に転嫁され、企業は償却不足に悩まされることなく、事業を拡大していくことができたのである。このことについては、もう少し詳細に説明する必要があるかもしれない。

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