会社への帰属意識が可能にしている合理主義で割り切れないこと

たとえば、日本人は自分の働いている会社に対する帰属意識が強い。学校を出て、どこの会社に勤めるかは、偶然というか、運命の悪戯によるところが大きいが、一旦、どこかの会社に就職したとなると、もうその人はその会社の人になってしまう。よほどのことがない限り、一生をその会社で働くことになるし、関係会社に出向することはあっても、途中でライバル会社に転職して、昔、自分を育ててくれた会社に弓を引くようなことはまずない。会社の側でもそうした純粋培養をめざしているので、社員は新卒の時点で採用するのが原則で、他の会社を流れ歩いた者には鼻もひっかけない。いわんやライバル会社から人材を引っこ抜くようなことはあり得ない。というのも、そういうやり方でライバル会社の情報を知ることはサムライの名折れだと思っているし、自分たちがそれをやれば、いつか同じことをやられて、こちらの情報も相手に筒抜けになるのがオチだからである。
何もそんなやり方をしなくとも、各企業の中央研究所や商品研究所で働いている研究者は、大学とか、研究団体とか、どこかでお互いに根はつながっており、相手企業がどんなことをやっているのか、どのへんまで研究がすすんでいるのか、大体のことは見当がつく仕掛けになっている。「うちの社長から、君んとこの会社のほうが進んでいる、うちは遅れていると文句を言われているんだが、本当のところはどうなんだね」といったライバル会社のあいだの会話は一向に珍しくないのだから、アメリカのように、フォードの社長がクライスラーの社長の椅子に乗り移って、しかも自分がいかに成功したかという自伝まで書くようなことはあり得ないのである。
私は毎月のように日本と台湾のあいだを往復しているが、企業に対する忠誠心の違いをまざまざと見せつけられることが多い。日本ではいま述べたようなやり方が当り前であるが、台湾へ行くと、個人の利益を中心に行動するのが常識だから、自分に都合のよい好条件を示されたら、明日からでも平気で会社をやめる。会社から派遣されて日本などへ研修に行って帰ってくると、それをセールス・ポイントとしてライバル会社に自分を売り込みにいく厚顔無恥の者もたくさんいる。
最近で言えば、新聞の発行が自由化されたので、新しくジャーナリズム業界に進出する企業や財閥がふえた。朝刊だけ発行していた新聞社が夕刊を発行したり、夕刊紙が朝刊に乗り出すケースもある。またページ数に対する制限がはずされたので、どの社も十二ページだった朝刊が、一挙に二四ページに増ページをした。そうなると、新聞記者の引っこ抜きが始まる。新しく発足するC社がA社やB社の記者を倍の待遇で引っこ抜く。記者を引っこ抜かれて困ったA社もB社もまた引っこ抜きかえす。たちまち大乱戦常態になり、半年もたたないうちに、A社とB社の社員が入れかわったり、A社、B社の社員がC社に移ったりして、新聞の発行部数がふえたわけでもないのに、新聞記者に支払う給与だけ倍にふくれあがるということが起った。経営者にとっては存亡の危機にぶつかったようなものだが、社会全体から見たら、ジャーナリストの社会的地位を引き上げる絶好のチャンスになった。その反面、スペースを埋めるために記事の内容はやたらに水増しされて、各社の個性は逆に失われてしまった。

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