そういった甘ったれた保護政策が罷り通るようになったのは、日本人同士の共同体意識が強いからであるが、もう一つには、日本の選挙制度が農業時代のまま定着してしまい、農民票によって選出された議員の声が特別大きく響く仕掛けになっているからであろう。工業の発展により、人口は大都市中心に集中し、全国が過密地帯と過疎地帯に二極分化されてしまった。そうした変化が確実に起っているのに議員数がもとのままだと、当選に必要な票数は、過密と過疎では三倍も差が生ずる。これでは正確に民意を代表しているとはいえないから、今の選挙制度は違憲だという訴訟もくりかえし行われている。それに対して、三倍程度は違憲とは言えない」という判決も出ている。あるいはそういう判断もあるかもしれないが、不公平であることは事実であろう。農民が年々米価審議会が始まると、コメ議員たちをむしろ動員して、筵(むしろ)旗を立てて議院を取りまく風景も、日本のそうした産業的、政治的構造の反映であり、それが著しく日本の農民と工業生産者との発言権をアンバランスなものにしている。
もっとも米価をいくらつり上げても、国が生産者と消費者のあいだに介在してショックを吸収してくれれば、農民はお金をもらえなくなる心配はない。ただし、そのためには米の輸入を禁止して安い外米が入って来ないようにしなければならない。すると垣根の中は競争相手がいない。だから、合理化は遅々として進まず、それを承知で支えれば、国家財政はますます大赤字になってしまう。一旦、定着すると、大赤字はふえることはあっても減ることはまず考えられない。もし日本の工業の発展が国内の需要を満たす範囲にとどまっていたら、もちろん日本人が米の輸入を禁止しようと自由化しようと、国際的な政治問題にまで発展することはないであろう。しかし、工業の発展が諸外国とのあいだの貿易を黒字化し、赤字化した国々が帳尻をあわせるために日本の門戸開放を迫るようになると、貿易摩擦は牛肉やオレンジだけにとどまらなくなる。
私は日本人が牛肉やオレンジのような些細な項目にこだわるのは、本当は牛肉やオレンジの分野に攻め込まれるのを怖れているわけではなく、米という本丸に攻め込まれることをおそれて敵の目をそらせるための誘導作戦だろうと常々思っている。日本政府は何年も人々の関心を牛肉とオレンジに引きつけて時間稼ぎをやってきたが、もはやこれ以上引き延ばせないと見てやっと自由化に合意した。そうなれば次の攻撃目標はいよいよ米となる。米を自由化できるかどうかで、日本が「工業製品を売って農作物を買う」のか、それとも「工業製品も農作物も自給自足にする」のか、二つに一つを選ぶことになる。
今までの日本人は、外国と国内を巧みに使い分け、外国では自由貿易のスローガンに同調し、国内では保護貿易に徹してきたが、工業製品で充分に国際競争ができるようになると、国内でいつまでも保護貿易を守り通すことは到底許されない。しかし、そうと分っていても、できるだけ時間を稼ごうというのが日本人の作戦だから、コメ戦争はやっとこれから本番に入るところである。

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