商社は日本の生んだ「国際問屋」


商社は日本独特の問屋制度が世界的スケールにジャンボ化したもの
公平に見て、日本人はそんなに商売の上手な国民ではない。物を売ったり買ったり、値段の駆け引きをしたりというだけのことならユダヤ人、中国人、インド人のほうが一枚も二枚も上手だろう。ことにインド人は、一万円の商品を仕入れて五○円しか儲けがなくてもすぐに売ってしまう。東南アジアからアフリカにかけてインド人の商圏になっているところでは、小売業でインド人に適う人はいない。あるとき、私はシンガポールのヤオハンデパートでテープレコーダーを買ったことがあるが、「この店は直営ですか?」ときいたら、「いいえ、はじめは直営だったのですが、インド人に安売りをされてとても採算にのらないので、インド人に店を貸してマージンをとることにしたのです」という返事がかえってきた。「カメラの土井」とか、「メガネ・ドラッグ」とか、日本では際立った安売り屋でも、国際舞台に移ると、とてもインド人の安売り屋には適わないのである。にもかかわらず、メイド・イン・ジャパンが世界市場を風靡するに至ったのは、なぜであろうか。恐らくそれは、物をつくることにかけて日本人がすぐれた才能を持っているからであろう。「そうは言うけれども、世界中どこに行っても商社という日本の貿易商が店を構えているではないか。世界中にネットワークを拡げて"ラーメンから原子力まで"何でも手がけている組織は他に類例をみないのではないか」そう反論する人があるかもしれない。確かにそのとおりで、日本の商社のように、世界中、産業都市ならどこにでも支店を構えて、その国の主たる輸出入に関与している組織は他にはみられない。アメリカにも、西ドイツやイギリスにも、世界的にネットを張って商売をやっている商事会社はあるが、それは、薬なら薬、石油なら石油を扱っている販売会社であって、「ラーメンから原子力まで」ありとあらゆる商品を扱っているわけではない。それに比して、なぜ日本にだけ商社という組織が誕生し、かつそれが世界的な大きさにまで成長したのであろうか。私は、それは日本独特の問屋制度が、日本人の経済活動が世界的スケールで拡大するプロセスでその役割を認められ、ジャンボ化したものと見ている。さきにも述べたように、農業時代の日本で物流を扱っていたのは問屋であった。問屋は諸国の物産を大量に仕入れて小売商人に卸す仕事に従事しただけでなく、生産者に前貸しをしたり、小売商に支払い期限を猶予してやったりすることによって金融業者としての役割をはたしてきた。流通と金融が未分化の状態にあるときから、その二つを兼ねた機能をはたしてきたのである。農業社会では、もとより農産物や海産物が取り扱いの主たる対象である。それが明治以降は工業の発展とともに工業製品にも手を染めるようになり、問屋の扱う商品の範囲は繊維製品からついに鉄鋼、造船、家電、加工食品、石油とほぼ産業界を網羅するところまで拡大された。
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