金持ちになったことが、日本人を日本から追放する


日本の銀行は事業家の尻馬に乗って海外進出をした
料亭やカラオケ・バーもサービス業なら、銀行や証券会社もサービス業である。私はかつて日本文化を代表するものとして、(1)日本料理、(2)カラオケも含めた、歌謡曲、(3)旗を立てて団体旅行、の三つを挙げたことがあるが、考えてみれば、いずれもサービス業であり、またいずれも純メイド・イン・ジャパンではない。
今でこそ世界中どこに行っても日本料理店があり、それぞれ、その店なりの常連客を持っているが、天ぶらもすき焼きもしゃぶしゃぶも、もとはといえば日本人が発明したものではない。天ぷらはポルトガル人によってもたらされたものといわれているし、牛肉に至っては明治以前、日本人がほとんど口にしなかったものである。一旦、外国からとり入れられた調理法が日本へ入ってくると、独自の工夫がこらされて進化する。それが日本料理なのである。
歌謡曲にしても、昔からあるように思えるが、古賀メロディー以前に歌謡曲らしい歌謡曲があったろうか。ラジオやレコードの普及によって急速に日本の大衆音楽にのしあがった歌謡曲は、古賀自身の経歴からみてもわかるように朝鮮半島からもたらされたものであって、それが一旦、日本に定着すると、醸成され、発酵して日本の音楽となったのである。力ラオケに至っては、カラのオーケストラ、すなわち一度はオーケストラを背にスターになりたいと願望している一人一人の欲望を満足させてやるために、本人の歌がすっぼり中に人るようにつくられた日本製お手軽オーケストラのことである。私はカラオケが国内でブームになりかけたとき、「これは今に世界中で大流行するようになるぞ」と冗談半分にいっていたが、今や西安に行っても、桂林に行っても、あるいはバンコクに行っても、マニラに行っても、カラオケバーのないところがない。外国人に知られた日本の歌も、「サクラサクラ」や「荒城の月」から「北国の春」や「昴(すばる)に変ってきた。音楽は翻訳を必要としない万国共通語だから、人々の心に訴えることができさえすれば、すぐにも電波にのって世界中に溢れるものである。
もう一つの(1)「旗を立てて団休旅行」は、もともとイギリス人のトーマス・クックが発明したものである。一人で旅行するよりは団体のほうが安上がりなことは誰にもわかることだが、それをもっとも大規模かつ効率的に企業化したのは日本の旅行社であろう。外国の言葉がわからなくとも、外国の事情にまったく通じなくとも、旗のあとについていけば、世界旅行ができて無事、家まで帰ってこられるのだから、こんな便利な旅行法はない。今やアメリカ人も、旗を立てるのが迷子にならないもっとも有効な方法であることを承知しているから、ツアーといえば、日本流に旗を立てて歩いている。国境をこえてサービスを受ける人がふえれば、サービス業の国際化が実現するようになる。
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