今日、台湾や韓国で財閥にのしあがった人々は、いずれも日本でかつて起ったことを自国で再現することによって金蔓をつかんだ人々である。反対に昔からの大地主や商業資本家はその陰にかくれて影がうすくなってしまっている。このパターンの動きは、台湾や韓国に次いで、この次はタイ、フィリピン、中国大陸などへと転移していくはずであり、日本人のパートナーになった現地人が成り金になる絶好のチャンスとなる。したがって、次の金儲けのチャンスは、どこにあるかを知りたければ、日本の企業がどこの国に動くかを注意深く観察すれば、自然に見当がついてくる。
さて、日本企業がドンドン海外に進出するということは、日本国内での生産が生産コストの急激な上昇によって引き合わなくなったということにほかならない。生産コストの中で一番大きなパーセンテージを持つのは労賃である。その労賃がわずか十数年で行き着くところまで行ってしまって、もうこれ以上の値上げはできない限界に達してしまった。少なくとも昭和四十八年の石油ショックの直後にはそういう具合にみえた。もし労働力の生産性をあげることができなければ、企業は海外に移動し、国内は空洞化してしまう。労働者は賃金をあげるどころか、逆に失業の憂目をみることもあり得る。石油ショックによって、人件費も高騰し、できあがった製品が売れなくなったときが、日本の産業界の最大のピンチであった。
このピンチから日本の産業界を救い出したのが、ほかならぬ省エネ化とオートメ化である。日本のような石油の九九・七%を輸入に依存している資源のない国で、いきなり石油の価格を五倍も十倍も引き上げられたのでは、商売が成り立たなくなる。日本人はまず必死になって資源の節約に走り、自動車から家電製品まで、ガソリンや電力を食わない製品づくりが急速に進んだ。
と同時に、コストの中で一番お金のかかる労賃を節約するために、労働力をできるだけ使わない方法を工夫する必要が起り、次々と機械の自動化が考案された。機械の自動化によって今まで一○人の作業員が必要だった作業場が一人ですんでしまう。家電製品のような業種では、一○○人が一人ですむようになったところもある。こんなことが現実に起れば、急激に労働力が排除されるから、組合が先頭に立って「オートメ化反対」を唱えそうなものであるが、日本では組合はもとより、 一般の世論も表立って反対をすることはまずなかった。
「もしそうしなれば、われわれは国際競争に打ち勝っていけない」という共通の危機感があったからである。こうした試練を経て、日本製品は急速に国際競争力をつけるようになった。「艱難汝を玉にする」という諺があるが、まさに諺どおりの結果が出たのである。

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