税金を取り立てる前に、予算を削る方法を考えるのが先決
その点、日本は近隣諸国といささか事情が違う。先にも述べたとおり、日本人には遵法精神があり、一旦、決めたルールは比較的素直に守られる。もし守らない者が続出するとすれば、食管法のように、法律そのものに無理がある場合である。直接税中心の税制がずっと維持してこられたのも、日本人の大半に遵法精神があったから、とみることもできる。もっとも直接税の主流が給与所得やその他の源泉税になっていて脱税したくともできなかったせいもあるが、年々、直接税の比率が伸びて間接税の比率は全体の二○・一%まで減少してしまった。それならば、直間比率をかえることによって増税ができると大蔵省のエキスパートたちは見込んだのであろう。しかし、私に言わせれば、そういう背景を考えれば、一挙に消費税まで持ち込むことには無理がある。将来どうしても消費税で賄わなければならなくなるまで消費税の実施は見合せ、スイス方式か、力ナダ方式で、まず間接税に慣れさせたほうが都合がよい。わずかの間接税ですんだものを、ただ直間比率をあらためればよいという机上のリクツで、一挙に六対四とか、半々まで持っていくということになると抵抗も多いし、将来に余力を残すという意味でも賢明な方法とは言えない。
もし、財政赤字の穴埋めをするために大衆課税が必要だというのであれば、国民の一人一人にややこしい計算をさせて毎日毎日、わずかの税金を広い範囲にわたって取り立てるのは得策ではない。さしあたり穴埋めに年間六兆円のお金が必要だということであれば、あまり抵抗を感じさせずに六兆円を取り立てる方法を考えればよい。さしあたり必要な税金を調達するのに百年の大計もへチマもないのである。そんなことよりも、税金を取り立てる前に、予算を削る方法を考えるのが先決であろう。どんな会社だって左前になったのを立て直すときは、まず経費の節約から始める。国が経費の力ット・ダウンから手をつけず、不足する金の調達ばかり口にするのは、どう考えてもおかしい。まして斜陽化する生産者を保護するための後ろ向きの資金を消費者から調達するということになると、消費者こそいい面の皮であろう。
そうした人々を納得させる措置がとられたうえで、財源の確保をしようと思えば、もともと大衆課税を目的としているのだから、スミスのいうように、大衆の必要支出に課税するのはやめて、大衆の誰もが使うが、課税されてもやむを得ないと誰もが思いあきらめる商品に特定して課税するにこしたことはない。たとえば、自動車やガソリンは大衆の日用品であり、すでにさまざまの名目で税金がかけられている。しかし、どうしても何兆円かの税金を取り立てるというのであれば、一年に新車の登録がトラック、バスも含めて六七○万台はあるのだから、新車の購入にあたって一台につき平均三○万円の新間接税を支払ってもらえば、それだけで二兆円は軽くあがる。自動車一台につき三○万もとったら、自動車が売れなくなるんじゃないかと心配するかもしれないが、今の日本では安い車は売れない。高い車ほどよく売れている。高い車に税金をかければ、もっと高くなるから、もっと売れるようになる。
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