時代の美意識

第50回
幸も不幸も自分がつくるもの

幸せにも不幸せにも定義はありません。
幸せも不幸せも自分の思い方次第。
幸・不幸は自分で決めているもの、決めていくこと。
もし不幸と感じることがあったら、
それは自分が作り出しているモノなのだと思います。

“何か”や“誰か”と比較して、
自分は○○がない、○○が足りないと思えば、
“〜がない自分”は不幸せとしか思えなくなります。
こんなふうに、ないものねだりで幸・不幸を決めるのは違うと思う。

私は、人生の妙味は表裏一体であることだと思います。
幸も不幸も表裏一体、幸せが続けば不幸せがくるし、
不幸せがあれば次には必ず幸せがきます。
その原則があって、その上でなおかつ大切なのは、
幸せも不幸せも決めるのは自分であるということです。

自分が幸せと思えば、どんな逆境でも幸せでいられる。
きれいごとに聞こえたとしても、
私はそのように考えているのです。
このような話をすると、
「それは、あなたが強いからできるのだ」
と言われることも少なくありません。
でも、それは違う。
誰でもできます。

傍から見たらつらい状況であっても、
それを嘆き、そうでない人を羨みということをしなければ、
自分は不幸せという気持ちは生まれません。
不幸せに思わなければ、不幸せにはならないのです。

それができない人は、
今自分が幸せと思っている誰かと入れ替われたとしても、
幸せにはなれないでしょう。
幸せそうに見える人の人生をとっかえひっかえ経験したところで、
「こんなはずじゃなかった」で終わりかねないからです。

ないものねだりは、言い換えれば欲求。
ああしたい、あれがほしいというないものねだりを忘れるだけで、
人間は幸せになれると私は思います。
ないものねだりを持ち込まない。
山の向うに行けば幸せがあるという、
山の向こう側もこちら側に来れば幸せがあるという。
世の中、一生懸命に生きる事が幸せになれる第一歩だと思うのです。


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2009年10月29日(木)

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