第272回
『項羽と劉邦』の「飯」、食えるか食わせられるか

最近、司馬遼太郎氏の
『項羽と劉邦』を読み直しました。
5度目ぐらいでしょうか。
実はこの本に関しては、
個人的な思い入れがあり、
中学生のころぐらいに初めて読み、
確か、私が中国を直接触れ始めた、
そのきっかけとなった一冊だったと記憶しています。

読むたびに、
今でもいろいろな視点を与えてくれる、
間違いなく名著です。
今回読んでみて、最も印象に残ったのは、
帝国が崩壊する前後、
群雄割拠の状態になるのが中国の常で、
『項羽と劉邦』の時代、
つまり紀元前3世紀ごろもそうだったのですが、
群雄がどのように淘汰されていくか、
それは「飯」にかかっている、とういものです。

手勢に飯を与えられない頭目は失格、
より多くの飯を確保し、
分配できる英雄に吸収される、
あるいは、飯を与えられない頭目を見限って、
手勢のほうが自主的に新たな、
巨大な英雄のもとに集まる、ということです。
『項羽と劉邦』では、
当時、そうして出来上がったのが、
項羽(楚)と劉邦(漢)という二大勢力で、
この楚漢の攻防を描いているわけです。

この時代ばかりではありません。
中国では、少なくとも秦の始皇帝以来、
帝国の崩壊は、
「ご飯が食べられるかどうか、
 ご飯を食べさせることができるかどうか」に
かかっていたといっても過言ではなく、
特に、中国の歴史上の群雄割拠と
その推移の大きな法則となっていたのです。

翻って、現代を見てみると、
中国共産党は、70年代までの教条的な考えから脱して、
それ以降、経済発展に力を入れてきたわけですが、
最大の成果は、
13億人に上る人口のほとんどに対して、
「飯」を与えることを可能とし、
そのメカニズムを構築したことにあります。

だからこそ、日本人の感覚では、
一党独裁は無条件に悪であるという思い込みもあって、
最もわかりにくい部分ではあるのですが、
中国の一般国民は、
無条件に賞賛するわけではなく、
時には大々的な批判もすることもありますが、
それでも、中国共産党及び
その政権を非常に高く評価しています。

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2005年3月10日(木)

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