中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第10回
日本人の江戸前、中国人の山珍海味 その1

いまや世界中で最も食べ物の豊富な国は日本になった。
世界一おいしい牛肉も、世界一甘いメロンや西瓜や
ブドウも日本で食べられるようになった。
高いお金を払ってくれる国には、
どこの国でも一番品質のよい商品を優先的に届けてくれる。
日本で食べるマンゴーは
フィリッピンの産地で食べるマンゴーよりおいしいし、
グレープフルーツやパイナップルも、カリフォルニアや
南アフリカや、あるいはハワイや夕イより
ずっとおいしいものにありつける。
原産地に行くよりも、お金持ちの国で気前よく
お金を払えば何でも一番おいしい物にありつける。
だから世界中のあらゆる料理を一ヶ所で食べたかったら、
東京に住むことである。
すべての国の料理が最高の状態で味わえるかどうかは
保証の限りではないが、東京におれば、
エチオピアの料理からミャンマーの料理まで何でもある。

私たちからみたら、どう考えてもおいしい範囲に入らない
料理まで揃っているのだから、
おいしいほうの代表であるフランス料理、イ夕リア料理、
中華料理、夕イ・べトナム料理など
最高水準のレストランにはいくらでもお目にかかれる。

そういう料理をふだん食べるようになったのだから、
日本人もいまや世界的な食家(グルメ)であり、
日本の料理の水準はトップクラスにランクされるようになった。

日本国内だけでなく、フランスの三つ星のレストランに行っても、
テーブル数の半分以上が日本人によって占められている光景が、
必ずしも珍しくなくなっている。
こうしてみると、日本人は昔々から
味について高い素質を持っていたように思えるが、
実際日本人の食生活の新しい一頁がはじまってから、
まだせいぜい三十年しかたっていない。
食べ物への関心がいくらあってもお金がなければ、
料理に高いお金が払えないし、
お金を払う人がいなければ、
いい料理は生まれてこない。
日本の経済力が世界中から認められるようになってから
ずいぶん久しいように思えるが、
実はまだ四世紀ほどしかたっていない。

私が『食は広州に在り』を書いたのは 一九五〇年代であるが、
その頃の日本人は美食どころか、
「飢えては食を選ばず」の真っ只中におかれていた。
私があの本の中に書いたご馳走の話などは、
当時の日本人にとっては夢のまた夢であった。
そういう貧しさから見事に脱却した日本人は、
ふところが豊かになるにつれて
すべての面で長足の進歩を遂げたが、
なかでも食生活の改善には目を見張るものがある。

まず食材が見違えるほど豊富になった。
食べ物の内容も変わった。
そして、それを調理する技術が格段に進歩した。
戦後、食糧不足に見舞われたので、
とりあえず飢えを凌ぐために
アメリカから小麦やとうもろこしの援助物資が入り、
それが学校給食を通じてパン食を若い人たちの間に定着させた。
一時期、外米も輸入され、家庭に配給されたが、
よほど日本人の嗜好に合わなかったとみえ、
国内における米の生産が充実するにつれて、
間もなく台所から姿を消してしまった。





←前回記事へ

2012年8月15日(水)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ