中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第50回
日本が会社社会なら中国は人間関係社会

日本の社会が「会社」という単体の連合体であるとすれば、
中国は人間関係でつくりあげられた
人間関係社会といってよいだろう。

人間関係社会とは
人と人の関係でつながっている社会のことであり、
そのつながりが組織をこえて重要な役割をはたす。
中国人の派閥は組織の中にあるのではなくて、
組織をこえてつながっているのである。

たとえば、必要な許可をもらうために
役所に出かけて行くとする。
誰の紹介もなく窓口に並ぶと、
順番通りに受け付けられるのは当然としても、
長時間待たされた上に、冷たくあしらわれ、
挙句の果て、あの書類を持って来い、この書類を持って来い、
と難癖をつけられて追いかえされる。

やっと書類をととのえて窓口に戻ると、
今度は「そこで待っておれ」と一日中、待たされる。
本人は何をしているかというと、煙草を喫ったり、
お茶を飲んだり、同僚とだべったり、
時々、机の上の書類に目を通したりしているようだが、
要するに何もしていない。

こちらは忙しい中をイライラしながら待っているのだから、
どうしたって頭にくる。
よっぽど怒鳴り倒してやろうかと思うが、
「待て待て。ここで怒鳴ってしまったら負けだ」
と怒りをグットのみ込む。

こういう時、中国人ならたちまち策略をめぐらす。
このままでは駄目だとわかると、
まず友人を動員して役所の係と知り合いの友人を探し出す。
うまく探し出せない場合でも、係官の住所を突きとめる。
その晩のうちに酒と煙草とちょっとした
果物籠に名刺を添えて送り届けておく。

翌日、役所に訪ねて行って、同じ名刺を出すと、
「やあ、やあ、さあどうぞ」と椅子まで出してくれた上に、
モノの十五分でもう書類はできてしまっている。
こういうのは中国の社会では「ワイロ」に当たらない。
物事をうまく運ばせるために油をさしているようなもので、
誰でも思いつくことである。

もっと入りくんだ、中枢にいる役人の協力を得ないと
できないような認可を頼む時は、
ちょっと知り合いになるくらいのことでは間に合わない。
どうしても係官と親しい人を探し出し、
その人から声をかけてもらう必要がある。

どこでもそうだろうが、
中国の政府機関にはどこも必ず派閥があって、
誰はどの人の系列に属しているといった
はっきりしたつながりがある。
そういう人の引きがなければ
出世ができない仕組みになっている。
だから一番よいのは、
その人の属している派閥で
上位にランクされている人から事前に連絡してもらうことである。
逆に下から上に行ってもよい。
その場合でも話が通じておれば大事に扱ってくれる。

中国の社会はすべてが人間関係でつながっている。
中国人はこれを「関係」と呼ぶ。
関係がよければ、何でも通ずるし、
関係がなければどこも行き詰まってしまう。

交渉事で役所に行くとする。
知った人がいないと、
お役人は公人としてあたりさわりのない応答をする。
何をきいても規定はこうなっているの一点張りで、
「法律はこうなっていますから、
ここのところに抵触しますなあ。難しいですなあ」
と気乗りのしない返事をする。

しかし、もしそれが然るべき人の紹介であったりすると、
最初の当たりからして違う。
自分たちの仲間と思っているから、
「法律はこうなっていますが、こういう具合にやってください。
何とか許可をしてさしあげられますよ」とか、
「一回に全部申請をすると難しい条件がつきますが 、
三回に分けて少しずつ申請なされてはどうですか。
そのほうが役所としても許可は出しやすいですよ」と、
最初から、どうやったら法律の網目をくぐれるか、
手伝いをしてくれる。

担当の役人が見方になってくれるのと、
敵にまわるのでは大違いだから、
中国で何をやろうとする時には、
必ずコネを探すことである。





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2012年9月26日(水)

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