中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第65回
市場経済化は、単なる資本主義の復活ではない その3

文化大革命によって辛酸を嘗めた中国人でもう一度、
あの悪夢にうなされたいと思う人はおそらく一人もいないだろう。
そうした悪夢から醒めた中国人は、
以前にもまして政治不信におちいった。
海外にいる華僑たちは幸いにも
その被害を受けずにすんだが、
国内の中国人は強大な中国を望みながら、
共産党の政府に対する不信感をますます強める、
という矛盾に苦しんだ。

ただ、そうした中にあっても、
自由市場と経済特区の実験は着々と実績をおさめ、
十二億の人間が少なくとも「食べる」という面で
心配をしないで済むところまで辿りつくことができた。

また不平等を克服するために、一時期、賃金を単純化し、
世界でもっとも格差の少ない賃金体系を適用したが、
その結果は「働いても三十六元、働かなくとも三十六元」
という悪平等を生み、 おかげで生産は停滞し、
サービス精神は完全に失われてしまった。

たまに海外から帰ってきた華僑たちの目に、
上海や北京の街は見るかげもない
サービス不在の荒寥たる
不毛地帯に映るようになってしまったのである。

そうした閉鎖社会の中にあって、
経済特区だけが自由経済社会に向かって
ひらかれた小さな窓であった。
その窓を通じて資本主義の風が吹き込んできた。

深センにしても開発途中で中央政府の干渉によって
閑古鳥の啼いた時期があったが、
すぐにも制限が解かれたので十二年という歳月を経て、
開放政策の正当化がようやく確認された。
悪平等は不平等よりももっと悪いことに気づくのに、
何と四十年もかかったのである。

しかし四十年の試練を得て、
共産主義の洗礼を受けた中国がその反動によって資本主義に戻り、
共産主義の殻を臆面もなく脱ぎ捨ててしまうと思ったら、
事の判断を誤まるであろう。

私に言わせると、経済理論としてのマルクス主義は空想的で、
ほとんど考慮に値しないほど実用性のないものであるが、
社会思想史的には、働く大衆の利益を守るという
重要な役割をはたしてきた。

しかし、四十年もたつと、
政府や党の中枢にいる人々は一種の特権階級と化し、
そういう人たちが社会の進歩に対して
いまやブレーキの役割を演じている。

とはいえ、そういう人たちでも、
「人民のための政府」という金看板をおろすことはできない。
改革は少しずつ揺れながら、左から右へと傾斜していく。
右旋回が時代の一大潮流だとしても、
市場経済化は単なる資本主義の復活ではない。
中国のいまの政権担当者たちは、
それを「社会主義市場経済」と呼んでいるが、
これを負け惜しみとか、こじつけとか思ってはいけない。





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2012年10月11日(木)

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