中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第73回
エコノミック・アニマルとホモ・エコノミクス その3

日本人が商売熱心なことは誰しも認めるところだが、
はたして日本人がエコノミック・アニマルの名に直するか
ということになると、
私には少しばかり異存がある。
もしアニマルを単独行動をする動物と
群棲する動物に分類するとすれば、
日本人は、グループ・アニマルと呼んでもおかしくない。

グループで協力をして素晴らしい商品をつくり出す。
それを世に送り出すことを経済的合理主義というのなら、
日本人は経済的合理主義の追求者であることは間違いない。

しかし、日本はソロバン高くて打算的かときかれたら、
答えはノーであろう。
すぐ隣りの中国人に比べても、日本人はずっと計算にうといし、
利害打算で行動することも少ない。

たとえば、日本人には人材のスカウト業がない。
そういう試みが全くないわけではないが、
引き抜きをやっても応じない人が多い。

一億円を目の前に並べられても、
「お志は有難いのですが、いまの会社に恩義もありますし、
居心地も結構よろしいですから」と断わった例を私は知っている。
自分らのつくった物を売ることに日本人は熱心だが、
自分自身を売り込むことにはそれほど熱心ではないのである。

それに比べると、中国人はお金に敏感で、
その行動の動機はほとんど90%までが
お金であると思ってもそんなに間違ってはいない。

私が台湾で董事長(取締役会長)をつとめている工場の一つは、
創業当時から日本人が総経理(社長)をやっている。
もうそろそろ二十年になるので、
台湾人の後継者を育てるべきだと取締役会の席上で、
私は何回か意見を述べた。
社長本人もそのつもりになって、
若い台湾人を幹部にすべく東京の本社工場に
一年ほど技術見習に行かせ、
次の工場長に当てるつもりになっていた。

たまたまドイツに同業者で視察団を組んで行く催しがあり、
この際先進国の見学をさせておいたほうがいいだろうというので、
会社が金を出して旅行に参加させた。
ところが、帰ってきて何日かたつと、本人は会社へ来なくなり、
間もなく辞職届を出してきた。
行く前にはそんな様子は全く見せなかったのに
どうしたのかと思って調べてみると、
旅行中に、一緒になった同業者の社長から、
「十万元の給料を払うからうちの工場長にならないか」
と誘われて、すっかりその気になったのだそうである。
いままでの給料の三倍にあたる報酬を提示されたのでは
心が動くのもわからないではないが、
これが日本人なら、いままで受けた恩義のことも考えて、
少しは思い悩むのが当然だろう。
事情を知ったうちの総経理が、
「給料のことなら相談に乗るから」と言ったそうだが、
ガンとしてきき入れず、そのまま向こうへ移ってしまった。

こんな場合、日本人なら同業者の仁義として、
まず同業組合でいつも一緒になっている会社の
スタッフに声をかけたりしないと思うが、
仮にそういうやり方をされたとしても、
本人が二つ返事で応ずる代わりに、
とりあえず上役に相談してから自分の態度をきめるであろう。

中国人の社会では社会全体がソロバンずくでできているから、
引き抜きに応ずるほうも臆面もない。
それをやられたくないと思えば、
ふだんからそうした場面も想定して、
重要な幹部は株主の一員に加えるとかの
利益でしばりつけておかなければならない。

何とも味気ない話だと思うかもしれないが、
世の中がそういう具合にできている以上、
それなりの対策が必要になる。
とてもたいへんなことのようであっても、
お金で大半のことが片づいてしまうのだから
かえって御しやすい面もあるのである。

かつてアダム・スミスは、
人間はお金を動機にして行動するものだという想定のもとに、
ホモ・エコノミクスというコンセプトをつくりあげた。
このコンセプトをもとにして
今日の経済学ができあがったと言ってもよい。

私は中国人の行動を見ていて、
もしかしたら、アダム・スミスは中国人をモデルにして
ホモ・エコノミクスというコンセプトを得たのではないか
と思っている。
もし日本人がエコノミック・アニマルだとしたら、
さしずめ中国人はホモ・エコノミクス以外の何者でもないだろう。
それほど中国人は経済人間であり、
お金を行動の基準にして生きているようなところがある。





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2012年10月20日(土)

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