第81回
『太極導引』鍛錬の難と易 その二

『太極導引』鍛錬の複雑さ、難しさについて
前回で四点をあげましたが、
それらは練習を行う上で、
おそらく多くの人が感じると思われる困難な点ですが、
個人差もあることですから
実際に困難に感じられる点はもっと増えると思われます。

それにしても、こんなにも難しいことなのに
なぜ練習する人が依然として少なくならないのでしょうか。
中国に行けば、どこへ行っても朝の公園や緑地、広場などで
太極拳の套路(形)を練習する人の姿を見かけますし、
日本でも太極拳の教室や協会、クラブなどで
大勢の人がやっています。
百万人ぐらいの愛好者がいるともいわれています。
また、ヨーロッパやアメリカのような伝統文化が違うところでも
少しずつ普及され広まってきました。
当然、練習者の中には
難しいことが好きな人もいる訳ではありますが、
太極拳の套路
(形の組み合せのことで、私は『太極導引』と名をつけています)
の練習は、誰にでもできる易しいところがあると感じています。

『太極導引』鍛錬の「易」の部分と言えば、
まず「放松」という要求があります。
中国語の「放松」の意味はリラックスすることと緩めることです。
もし統一して
皆が3キログラムの力を持ったままで練習するとなれば
老人、こども、女性、病気や体力のない人などは出来ないでしょう。
『太極導引』鍛錬は
身体を強張らせず、力を出来るだけ入れないという要求ですので、
ある一定の力を出そうとすることよりも力を抜くことの方が
誰にとっても易しいといえるのではないでしょうか。

そしてまた「慢」という練習要求もあります。
中国語の「慢」の意味はゆっくりとすることです。
一般的な運動の場合は速度の速さを追求します。
少しでも速くしようとすることは
体質が弱い方には合わなくなります。
これとは逆に『太極導引』の鍛錬は
無理せずにゆっくりと行う練習であり、
したがって心臓と肺臓の働きに負担をかけませんので
体質状態の適応レベルが低い場合でも練習し易くなります。
さらに身体の動かし方という面からみても
バランスも取り易いし動作変化も行いやすくなります。

そして最も易しさがあると思うのは、
『太極導引』鍛錬が「自然」を要求することです。
これは身体の動きを
自然な身体条件の範囲内で行おうとすることであり、
練習時の心境も欲を持たないように
自然状態のままにしようという要求です。


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