“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第130回
首吊り

蔵に入って二日、三日とたち、
造りの仕事にも慣れてきた。
言われなくても、
次にどんな仕事がどこで待っているかが理解できるようになり、
先回りして仕事ができるようになった。
そんなときに、杜氏から
今日は大吟醸の絞りが入ると言われて浮き浮きする。

前回紹介したように、大吟醸は首吊りを行う。
首吊りの作業は
一度だけ栃木の造り酒屋で手伝ったことがあるが、
あれは取引先の酒屋を招待したイベントだった。
今回は真剣な作業である。

醪タンクからポンプで
醪が首吊り専用の小さなタンクの前の半切り桶に移される。
蛇腹のパイプを醪が流れてきて、
アルミの半切り桶がいっぱいになる。
それを杜氏さんが大きな柄杓を使って、
樹脂でできた持ち運びができる桶に注ぐ。
作業はリレー式になっていて、
その桶を持っていた蔵人が
次の蔵人が持っている酒袋に酒を注ぐ。
酒袋は紐を持っている次の蔵人に渡され、
その紐で口をいわいて
首吊りタンクの脇に上っている最後の蔵人へ手渡される。
そして、その酒袋は
首吊りタンクに渡された竿に紐でとめられる。

全部の醪を首吊りにかけて、
タンクの下部についている口から
新酒がちょろちょろとほとばしる。
それを斗瓶で受ける。
その新酒を利き猪口で味見をする。
まだ、炭酸がしゅわっとしていて硬い味だが、
初めての絞りを終えて味わう新酒は格別だった。

そして、またたくうちに予定の7日間が過ぎていった。
杜氏さんや蔵人と酒の話、食べ物の話を
造りの合間、合間にした。
本当に息のあった蔵人さんたちで、
半年間の酒造りはこの人たちに支えていることがよくわかった。
私はわずか1週間だったが、
この造りの作業を半年続けるのは並の精神、体力では駄目だ。

また、蔵仕事はユニットとして、分かれていて、
それを巧みな段取りで行っていることがわかったのも収穫だった。
それが、醪の状態や、蔵元の経営者からの営業判断で、
日々の仕事が変化する。
秋鹿は全量純米造りだが、
そのスペックは出荷地や酒販店の希望に応じて多岐にわたる。
その複雑な仕様をこなせるのは
谷淵杜氏の段取りの工夫と蔵人との和によっている。
理想のもの造りの作業現場で働けたのは幸せと言える。

蔵を後にする日の前日に送別会を秋鹿酒造でやっていただいた。
大阪の鶏料理店だった。
もちろん秋鹿を持ち込む。
「古川さんが忙しい時季にきていただいて、
 本当に助かりました。」
という谷淵杜氏の言葉を聞いて、胸がいっぱいになった。

土曜の午前の仕事を終えて蔵を後にした。
奥常務がお昼をご馳走してくれる。
せっかくだからと、以前、奥常務に紹介した
松田さん夫妻のやっている丹波笹山の山奥の蕎麦屋
「ろあん松田」へ連れていってくれる。
「本当にご苦労様でした。
 あんなに働いていただけるとは思っていませんでした」
と差し出された秋鹿の燗がまたひときわ美味しかった。


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