“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第251回
伝統があってこそ革新できる

おまたせいたしました。
1週間ほど休みをもらいましたが、コラムを再開いたします。
といっても、今回の分は休み前に執筆をしていますので、
休み中の美味しい体験は明日以降に紹介することになります。

また、このコラムもスタートして、
ちょうど1年間が経過しました。
継続できたのも、読者の皆様の日頃のご愛読と、
激励のメイルによるところ大です。
どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

さて、技術開発もグルメも同じことが言えるが、
新しいコンセプトのものの創作というのは、
そう楽なものではない。
自動車メーカーの研究所にいたころは、
よく、「町の発明家」がものごとの原理を知らずに
奇異なアイディアのものを
革新技術といって売り込みに来ることがあった。
この手のものは、実は原理的な欠陥があったり、
たいそうな仕掛けのわりにはメリットがあまりないことが多い。

創作料理という名前がついている料理屋も
「町の発明家」と同じように、美味しさの原理を無視した、
必然性の無い食材の組み合わせ、
調理方法を採用していことが多い。
従来、新しい味というものは、伝統を守ってこそ生まれるものだ。
伝統というのは、長い歴史にもまれ、
試行錯誤を繰り返した結果たどりついた最適解といえる。

そして、伝統を守ることが逆に革新を産むことにつながる。
というのは、伝統の味は
同じ食材、同じ調理方法を繰り返しても維持できないからだ。
時代が変れば、食材の質が変る。
昔はどこにでもあったいい食材が入手困難になってくる。
また、社会情勢が変り、お客の嗜好も変化する。
調理道具の進歩や衰退もある。
それらの状況の変化に対応して伝統の味を維持するには、
革新を目指した努力が必要になってくる。
このような革新は、創作料理のように、
ぽっと思いついたものではなく、
長年の伝統を維持する努力の積み重ねを体験してこそできる、
本質的な解答だ。

伝統を守りつつ、味の進化を遂げているいい例は蕎麦屋だ。
老舗の蕎麦屋が安易に機械打ちに走っていたころに、
片倉康夫は一茶庵を創業し、本来の手打ち蕎麦にもどり、
多くの弟子を育てた。
それらの弟子たち、また、孫弟子たちが新たな工夫を積み重ねて、
時代をとらえた新しい味を出している。
彼らはいい玄蕎麦を仕入れるルートを開拓し、
適切な製粉を行っている。
よく、蕎麦は手打ちの技術の優劣で美味しさが決まる
と勘違いしている人が多いが、
蕎麦の味に手打ち技術が及ぼす影響度は小さい。
もちろん、蕎麦打ち初心者と数年蕎麦屋を続けているプロでは、
蕎麦切りの品質は雲泥の差があるが、
蕎麦屋になって数年も経てば、
蕎麦打ち技術は十分なレベルに達して、
その技術の差による味の差はほとんどなくなる。

蕎麦の味と香は、
原材料である玄蕎麦の品質で
9割は決まってしまうと言ってもいい。
いかに、いい玄蕎麦を確保するルートを開発するか
ということが一番重要な課題だ。
さらに、現在の先端の蕎麦屋はそれをどのような粉に挽くか、
そして、その粉を使って
どのような形状、性質の蕎麦切りに打つかということに
工夫を重ねて、独自の蕎麦切りを提供しているわけだ。

伝統の延長に革新があり、革新が伝統を守る。
その心を持った店の居心地は格別だ。


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2005年8月15日(月)

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