“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第475回
日本の食文化遺産の築地市場が無くなる

築地は狭く、建屋も老朽化していて、
再整備は以前からいろいろと計画されてきている。
そして、青島都政のもとに、
築地の再整備の工事をすでに進んでおり、
320億円が費やされているという。
経緯を調べると次のようになる。
昭和57年には、
東京都は第3次東京都卸売市場整備計画を策定し、
水産市場として築地市場、足立市場に加えて大井市場を建設して、
3市場とする案を固めた。

しかし、これは中央区の反対を受けて、頓挫。
昭和61年に築地市場の再整備が東京都首脳会議で決定される。
これを受けて昭和62年に東京都と築地市場業界の協議機関である
築地市場再整備協議会が設置され、
昭和63年に築地市場再整備基本計画が策定される。
そして、平成3年に仮設工事が着工され、
平成4年から営業は続けながら
工事の区画をいくつかに分けた本格工事が着工される。
建屋は立体化されて、敷地面積の狭さを補う予定だった。

しかし、平成8年には東京都の財政悪化により工事は中断される。
そして、再整備の見直しが行われ、
この時点で東京都側はコストが抑えられるために移転に賛成し、
中央区は工事が進んでいることを理由に移転に反対。
市場内では移転に賛成する立場の人もでてきたようだ。
特に、立体化された建屋の2階に回された青果市場からは
いち早く移転賛成の決議がなされる。
市場内での意見も二つに分かれるようになり、
その後、内紛に発展したようだ。
そして、平成13年に
東京都は豊洲の東京ガスの敷地に築地市場の移転を決定。
それで、再整備を前提として延期されてきた、
仲買店舗の場所換えを平成16年に行った。
このような経過で、現在も移転の反対を唱える人は多い。
築地市場はまさに日本の食文化の歴史が刻まれていて、
子孫に伝えていくべき文化遺産ではないか。

豊洲の地は私の所属する大学の
新たなキャンバスが今年から開校したが、
下町の文化を感じない殺伐とした風景の場所だ。
築地市場の歴史で築いてきた文化が定着するには、
数十年かかることだろう。
その間、日本が誇る築地市場は消滅する。


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2006年6月23日(金)

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