“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第645回
割り水燗は本当に旨いのか?

加水・火入れ派の言い分は、生原酒はアルコール度数が高く、
酒質も芳醇で疲れるというもの。
これに対して、生原酒を推すのは、造りの条件が入る。
どんな純米無濾過生原酒でもいいわけではない。
綺麗で雑味が少なく、抵抗感が少ないように、
手間隙かけて造るということが必要な要件となる。
つまり、加水をしない
素のままの日本酒を愉しみたいというもの。
それが、飲みにくいのは造りが悪い。
飲みやすく造れば、
生原酒の造った通りの味を楽しめるという考え方だ。

バードランドの和田さんと、竹鶴の石川杜氏は仲良しだが、
違う派に分かれるところが面白い。
しかし、和田さんも、
竹鶴のようにいい酒なら生原酒が飲みやすいことは認めている。
生酒について、
火入れ派は熟成させると
老香(ひねか)が出やすいと嫌うことも多い。
しかし、生酒は火入れ酒より熟成が早く、
いい造りをしていれば劣化よりも、
旨みが乗ってくるのがまさるので、熟成も楽しめる。
この考え方で、純米無濾過生原酒を主体に取引しているが、
笹塚「マルセウ本間酒店」の本間さんだ。

さて、加水・火入れ派の教祖の故上原浩先生や、
神亀専務が提案する水割り燗というのがある。
原酒ではなくても、燗をするときに水で割っておいて、
燗をすると、アルコール度数が低くなって、
飲みやすくなるという考え方で信奉者も多い。
これに対して、生原酒派の高田馬場「真菜板」の杉田さんは、
せっかくの純米無濾過生原酒のもつ個性を
わざわざ薄めるのはもったいないと言う。
水割り燗については、私も価値をあまり理解できない。
低アルコール度の日本酒を美味しく飲めるのは認めるが、
割らずとも燗あがりして旨くなる酒を、
わざわざ水で割る必要があるのかという疑問が生じる。
また、熟成酒に至っては、
せっかく水とアルコールがなじんできた状態で、
さらに、新たに水を入れることは
バランスを狂わせるおそれもある。

まあ、好みの問題ではあって、
水割り燗を愉しむこと自体は個人の自由ではある。
しかし、せっかく丹精こめて造った日本酒は、
そのままの状態を燗にして飲んだほうが、
造った蔵人たちは喜ぶのではないかと思う。


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2007年2月23日(金)

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